日本文理 球史に残る猛反撃 「とんでもないことが起こっている甲子園球場 九回表五点取って一点差 10対9!」
2023/10/22 Sun. 17:27 [高校野球]
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2023年10月22日
おまけ その31(かみじょうたけしの高校野球物語)
を追加しました。
◆おまけ記事へのリンク ぜひお立ち寄りください!
おまけ記事へのリンク
球史に残る猛反撃
高校野球史上、最高の場面が今、ここに蘇る!!!
一生忘れられない大切な試合です。
「野球は2アウトから」
一体、誰がいつ頃から言い始めたのだろう?
2009年8月24日(月)13:01 阪神甲子園球場、
第91回全国高等学校野球選手権大会の決勝戦、プレーボールです。
■聖地・阪神甲子園球場※
(写真の※マークについては当サイト一番下の
「おまけ その7」に詳細を記載しています。)
■高校野球では一塁側チームを先に表記します※
■スターティングメンバー※
■体格の差、わかるでしょうか?※
先攻・日本文理(新潟)、後攻・中京大中京(愛知)、
伊藤直輝、堂林翔太、両エースの先発で始まった試合は
初回、堂林の先制2ランで動き始めます。
日本文理も二回、吉田雅俊と高橋義人の連続二塁打、
三回、二年生・高橋隼之介の同点ホームランですぐに追い付きます。
六回表、堂林が死球を与えたところで中京大中京ベンチは堂林を諦めます。
リリーフした二年生・森本隼平が後続を断ち、六回表までは同点のまま。
しかし六回裏、まずは堂林の二点タイムリーで中京大中京が勝ち越します。
その後、日本文理の守備に乱れが出ます。
記録は内野安打でしたが、一塁ベースカバーがガラ空きで追加点を取られます。
そして柴田悠介の走者一掃のレフトオーバーの二塁打で8対2。
この時点で大方の人は勝負あった、と思ったことでしょう。
そう言う私もそう思いました。
七回表には主将・中村大地のライト前ヒットで一点を返しますが、
その裏、河合完治、磯村嘉孝のタイムリーで二点追加します。
八回表には中京大中京のバッテリーミスで日本文理が一点を返します。
そしていよいよ4対10で九回に入ります。
■じゃんけんで勝った中京大中京が後攻を選択したことが勝因に…?
【リンク】
中京商、中京、中京大中京 歴史
【リンク】
中京商、中京、中京大中京 甲子園戦績
学校法人日本文理学園日本文理高等学校の校訓は独立・創造・敬愛。
夏の大会は今大会が初勝利で、センバツでもわずかに2勝。
新潟県代表は春夏で全県の勝ち星を足してもわずかに22勝で全国最少。
それまではベスト8進出が最高で、
ベスト4への進出がないのは新潟県だけでした。
センバツに至っては初出場が第30回大会(昭和33年)になってから。
2回目の出場はそれから18年後の昭和51年。
新潟県から出場した最初の3校で打ったヒットが計3本。
2校目の糸魚川商工は鉾田一(茨城)にノーヒットノーランを食らい、
4校目の新潟明訓が県勢初得点を挙げたのが平成8年。
初タイムリーヒットが平成15年の21世紀枠・柏崎。
初勝利は日本文理の平成18年という遅さ。
46番目に茨城県が初勝利を挙げてから、実に32年が経過していました。
センバツでの勝利はいずれも日本文理が挙げた2勝。(後に1勝を加算。)
センバツでの勝利高校数が1校というのも全国最少。
今まで甲子園で最も勝利している高校と、
今大会まで夏は1勝もしていなかった最弱県代表の対戦。
かつては組み合わせ抽選会で対戦相手が
新潟県代表に決まった学校からは歓声が上がることさえありました。
中京大中京は甲子園171試合目、日本文理は14試合目、
正に大横綱対序の口の対戦と言ってもいい組み合わせでした。
【リンク】
日本文理 甲子園戦績
■学校法人日本文理学園日本文理高等学校
そんな過去の実績から見ても、目の前で展開されているゲーム展開を見ても、
どう考えても中京大中京の圧倒的有利。
これから起こることを47,000人の観戦者は誰一人として
予想していなかったに違いありません。
試合を戦っている両チームの選手たちでさえそうだったと思います。
私は帰りの電車の時間が気になり始めていました。
九回が始まったのが15時10分頃。
16時過ぎの電車には乗れるかな? お土産何にしようかな? そんな感じでした。
■日本文理 寄せ書きボール (写真:甲子園歴史館)
九回からはライトに回っていた堂林がマウンドに戻ります。
大藤敏行監督に最初、登板を直訴した時には
「ダメだ。お前のためにやってんじゃねぇぞ!」
と一旦は却下されています。
しかし「最後は怪我で苦しんだ堂林で」という大藤監督の思いを受けての
マウンドです。
対する日本文理のベンチ。
「せめて最終回は一点取って意地を見せろ」(大井道夫監督)
「あいつらエースで終わらせる気だろ」
「もう、打とうぜ、打とうぜ」
■もうダメか…※
●八番・若林尚希(4対10、無死走者なし)
八番若林尚希がこの回の先頭打者。
バッテリーは守備位置を全体的に左に寄せます。
ランナーはいませんが堂林はセットポジションからの投球で
2-1(以下、当時のストライク、ボールの順で表記)からの
外角低目のスライダーで見逃しの三振に打ち取ります。
ギリギリのコースではありますが、
追い込まれている状況なので手を出したいところです。
打席で若林はヘルメットを脱ぎます。
私には若林が言葉通り、脱帽したかのように見えました。
■八番・若林尚希※
■まさかこの後、もう一度打席が回ってくるとは…
●九番・中村大地(4対10、一死走者なし)
九番中村はここまで16打数10安打、.625と絶好調。
しかし2球目を打った中村の打球は相手主将・ショート山中涉伍へ。
山中は前へ弾きますが、冷静にファースト森本へ送球します。
キャッチャー磯村は一塁ベース近くまでバックアップに走っています。
堂林は6球で簡単に2アウトを取ります。
堂林の表情にも笑みが見られます。
いよいよ最後の時が近づいてきました。
優勝決定の瞬間を撮ろうと、みんな携帯のカメラをかざして
前の方の席へ移動し始めています。
警備員はもう余り制止はしません。
おそらく直後に展開されるであろういつものマウンドで一本指を突き立てて
喜ぶ瞬間が近づいてきています。
私も早く帰る準備をしないといけません(笑)
■九番・中村大地※
■絶好調の中村までが打ち取られ、簡単に二死
●一番・切手孝太(4対10、二死走者なし)
さぁ、中京大中京はあとひとりで全国制覇。
いよいよ「その時」が近付いてきました。
一番副主将・切手孝太が打席に入ったところで、一塁側アルプスの応援が一層、
ヒートアップします。
テーマ曲の「勝手にシンドバッド」がいつもより大きな音で鳴り響きます♫
これから起きることをまるで予感しているかのようです。
「それにしても、このすごい応援ですねぇ」(渡辺監督)
「観客席を見たら誰一人として諦めてなくて、
声を枯らして応援してくれてたんで、
ここで自分たちが諦めたら応援してくれてる人たちが
何のためにいるのかっていうふうに思ったんで。」(切手)
打席に入る前、次の高橋隼之介に告げます。
「隼之介につなぐぞ。」
二遊間を組む高橋隼之介へは全幅の信頼を寄せていた切手。
「二人で一点を取ろうといつも話していました。
僕が得点圏にいる時は必ず還してくれていました。
本当に頼もしく、先輩、後輩も関係なく、信頼し合ってました。」
ベンチ前では控え捕手の笹川貴嗣相手に伊藤がキャッチボールを始めます。
まだまだ諦めてはいません。
切手は2-2と追い込まれます。
三塁側アルプスからは「あと一球」コールが起こります。
このまますんなり中京大中京が43年振りの全国制覇を果たすのか?
後から振り返れば、中京大中京が最も勝利に近づいたのがこの瞬間でした。
ここから勝利の女神は徐々に日本文理寄りに傾いていきます。
ここまでの切手は2球目、初球、初球、4球目と早打ちが目立ちます。
そしてこの試合、まだノーヒット。
この点差ですから最後に自分もヒットを打って終わりたいと思っても
不思議ではありません。
でも切手はフォア・ザ・チームの精神で、
この追い込まれた場面でよくボールを見極め、
一度もバットを振らずにフルカウントにまで持ち込みます。
ここで堂林はキャッチャー磯村のサインに首を振ります。
「堂林がサインに首を振ったので100%スライダーだと思いました。
これまでアイツの決め球は全部、スライダーなんです。
自分は最後のバッターになるかもしれなかったし、
決め球で打ち取って試合を終わらせたいという気持ち、わかりますよ。」
こう語る切手の読み通り、スライダーが外角低目にはずれます。
球種を読み切ってたからこそ、余裕を持って見逃せたのかもしれません。
切手がフォアボールで歩きます。
■一番・切手孝太※
■堂林の心理を読み切って出塁
●二番・高橋隼之介(4対10、二死一塁)
次の二番高橋隼之介はここで球場の雰囲気が変わったと感じたと言います。
彼はこの日、大当りの4の3。
堂林からはホームランを含む3の3。
タイミングが合っていました。
「よしっ!一度下げたピッチャーをまた出してきた。いけるかも。」
「クリーンアップにつなげられるように、
とにかく塁に出ようという気持ちでつなげました。」
■堂林からホームラン
■大会第35号※
アルプスからの応援がチャンスマーチに変わります。
♫さあ~いきましょ~(さあ~いきましょ~)
さあ~いきましょ~(さあ~いきましょ~)
常勝文理(常勝文理)最強文理(最強文理)
いけっ いけっ いけっ いけっ いけ~!
おせっ おせっ おせっ おせっ おせ~!♪
2球目の外角球に手が出そうになります。
振ったか?
キャッチャー磯村が一塁塁審にスイングのリクエストをします。
一塁塁審・長谷川さん、ノースイングのジャッジ、振っていません。
実は彼は2ストライクに追い込まれるまでホームランを狙っていたそうです。
「今だから正直に言いますが・・・
実はこの時『もう一発ホームランを打ってやろう』と思っていました(笑)
2年生が決勝戦で2本ホームランを打ったら史上初めてじゃないか、と思って。
大井監督からのサインも『行け!』だったので、
堂林さんから2本ホームランを打って、
一躍"プロ注"(プロ注目)になってやろうかと、
そんなことを考える余裕が心にありました。」
(「最終回は、終わらない」より)
2-1からの4球目に切手が二盗に成功します。
磯村が捕球できずに弾きますが、いずれにしても、
盗塁は成功していたことでしょう。
「切手さんらしいな。投げてこないと思ったら、すかさず走ったな。」
最後の一球にバッテリーが集中していることを見越した切手らしいプレーです。
高橋隼之介は粘りに粘ります。
簡単には終わりません。
中京大中京バッテリーはなかなかサインが決まりません。
6球目、うまく腕を畳んでレフトへ大飛球を放ちます。
入るかぁ~?
ファールにはなったものの明らかに堂林の表情に変化が見られます。
いや、この場面ではホームランよりもむしろヒットが欲しいところ。
入れば6対10にはなりますが、二死走者なしになってしまいます。
ファールになって良かったのかも。
ここはじっくり攻めたいところです。
■高橋隼之介選手サインボール
粘る粘る高橋隼之介。
小縣アナが言います。
「この粘りは日本文理そして新潟の皆さんに届いているはずです。」
「これはね、スタンドにいる後輩部員にとってはね、
素晴らしい贈りものになりますよね。
『まだまだわからんぞ、まだまだいくんだぞ』というようなね、
気迫が滲み出てますね。」(渡辺監督)
高橋隼之介は9球目を弾き返します。
「粘って、落ちるぅ~~~!
九回最後の粘り日本文理、高橋隼之介タイムリーヒット!
堂林翔太から打ちました。
まだわからない、まだ諦めない。
ファールで粘って粘ってのタイムリーヒット!」(小縣アナ)
左中間の二塁打になり、二塁走者切手を迎え入れます。
これで5対10。
「高橋君は二年生ですから、
来年につながるヒットだと思いますね。」(吉田監督)
結果に一喜一憂せずに常に自分を見失わない姿勢は
二年生とは思えない風格です。
日本文理の反撃のきっかけは切手の冷静な判断と
高橋隼之介の最後まで諦めない気迫から生まれたものだと言っていいでしょう。
ファール、ファールで粘り、ボール球には手を出さない。
投げてこないとみたら、すかさず盗塁。
この粘りが次のバッターにも伝わっていきます。
今から思えば、七回表の先頭打者だった一年生湯本翔太が
粘りに粘って11球目をセンター前に運んで一点取ったことが
上級生たちの心に火をつけたのかもしれません。
監督から「スーパールーキー」と呼ばれる湯本は
この夏、全国でただ一人の決勝に出た一年生でした。
■スーパールーキー 七番・湯本翔太※
そうは言ってもこの時点では「五点差になった」と言うよりは
「よく一点返した」という表現の方が合っています。
まだ誰もこれから起きることを予想できてはいなかったことでしょう。
■二番・高橋隼之介※
■「甲子園球場を沸かせる高橋隼之介のバッティング!」(小縣アナ)
●三番・武石光司(5対10、二死二塁)
三番武石光司は思っていました。
「六回の守備でのミスを何としても取り返したい。」
元々は外野手でファーストの守備はあまり慣れていない武石ではありますが、
それを言い訳にはできません。
ベンチで言われます。
「お前はまだ打ってないけど、どうすんだよ」
主将の中村からはこう声を掛けられます。
「お前が文理の三番なんだ。悔いのないスイングをしてこい!」
四番の吉田からは「俺まで回してくれ。」
中京大中京はここで3回目の守りのタイムを取ります。
ベンチは岡駿吾を伝令に送ります。
しかしこの時点ではまだそこまでの危機感はなかったことでしょう。
「一点差でも勝てばいいわけですから、そういう気持ちになって、
早く終わらせようとする気持ちが一番悪いですからねぇ。」(渡辺監督)
渡辺監督もまさか本当に一点差になるとは思わなかったでしょうね。
武石も高橋隼之介と同じように際どい球はファールにし、
ボール球には手を出しません。
2-1からの4球目、思わず声が出てしまいます。
それくらい際どいボール。
しかし武石は平然と見送ります。
ファール、ファールで粘るその姿に球場からため息と歓声が広がります。
「甲子園球場がこの粘りに沸き返ります。」(小縣アナ)
「凄い精神力ですね。
こういうのは高校野球じゃなきゃ見られませんねぇ。」(渡辺監督)
日本文理はフルカウントを想定した一球バッティングという練習を
積み重ねてきているのです。
たまらずショートから山中主将がマウンドに駆け寄ります。
粘った武石は7球目のスライダーをライト線に弾き返します。
ファーストから回っていたライトの柴田がこの速い打球に追い付けません。
実は柴田が公式戦で外野を守るのはこれが初めて。
この速い打球をうまく処理することができません。
「捕えたぁ~、まだ続く、まだ続く!
ボールはフェンスに達している。
更に一点返しました。打った武石は三塁までいきましたぁ~。
驚異の粘り日本文理、これで四点差!
九回2アウト2ストライクから粘りの連打をみせました!」(小縣アナ)
投げる球がことごとくファールにされて、
どうしていいかわからない中京大中京バッテリー。
キャッチャーの磯村は
「ファール、ファールにされて頭が真っ白になった。」と語っています。
■三番・武石光司※
■打球が速過ぎてライトが追い付けない
堂林はセンバツで九回2アウトから報徳学園に逆転を食らったことを
思い出したのかもしれません。
山中、河合、柴田が出場していた前年のセンバツでも明徳義塾に
延長10回裏2アウト走者なしからエラーをきっかけに
サヨナラ負けを喫しています。
一方、日本文理は前年の秋季北信越大会・決勝で
先発・伊藤が崩れ、八回表まで7対3と富山商にリードされていました。
八回裏に一点取った後、2アウトから8人の打者が続き、
この回七点を取って大逆転したことがあります。
二番手・本間翔太の好投がチームを救ったと言えます。
あの試合の再現なるのか?
◇2009年3月30日 第81回選抜高等学校野球大会 準々決勝
◇2008年3月28日 第80回選抜高等学校野球大会 二回戦
◇2008年10月19日 第119回秋季北信越地区高校野球大会 決勝
私はこの時、スコアブックに赤鉛筆で三塁打を記入する手が
震えているのに気付きます。
長い間、野球を観ていますが、
スコアブックをつける手が震えたのはこの時が初めてでした。
まだ四点差あるのに、この球場の異様な雰囲気は一体何?
■当日のスコアブック
●四番・吉田雅俊(6対10、二死三塁)
続く四番吉田。
彼は練習の虫でした。
打撃センスなら両高橋、長打力なら伊藤と好打者が並ぶ日本文理打線で、
大井監督は「吉田ほど練習している子はいない。」と
彼を四番に据えたのでした。
その2球目、吉田に言わせれば「ど真ん中の絶好球でした。」
彼は「ホームランだ」と思ったらしいです。
しかし力が入り過ぎたのか、体の開きが早く、
ボールの下っ面を叩いてしまいます。
サードファールフライでゲーム…
誰もが「終わった」と思いました。
吉田も「終わったな」
みんな「その瞬間」に合わせカメラを構えます。
■四番・吉田雅俊※
ボールを追うサード河合とキャッチャー磯村。
しかし打球がサードベースコーチ付近に上がっているのに、
なぜか河合と磯村はどちらが捕るんだ、というような追い方をしています。
どう考えてもサードへの打球。
「キャッチャー!」「完治さん!」
最後、磯村が河合を指差しますが、ボールは河合の遥か後方に落ちます。
これが甲子園の魔物なのか?!
「取れないっ!何だ、どうした~!最後のアウトひとつが取れない中京大中京、
まだ日本文理の夏は終わりません。
ちょっと考えられないプレーがでてます。」(小縣アナ)
心無いファンからは「へたくそ~!」の野次も飛びます。
指笛があちらこちらで鳴っています。
記録上、エラーは付きませんでしたが、明らかにおかしいプレーでした。
私はこの時、あるシーンを思い浮かべていました。
それは1979年の第61回全国高等学校野球選手権大会三回戦、
箕島(和歌山)対星稜(石川)戦での延長16回裏、
あと1アウトでゲームという場面で起きたファールフライを追った
星稜・加藤直樹一塁手の転倒シーンでした。
加藤選手はこの年から敷かれたファールゾーンの人工芝の縁に
スパイクの歯が引っ掛かり、転倒してしまったのでした。
命拾いをした森川康弘選手はこのプレーの後、起死回生のホームランを放ち、
箕島は再び延長戦で追い付き、最後は延長18回にサヨナラ勝ちします。
「神様が創った試合」とも呼ばれるこの試合でのこの出来事は、
加藤選手のその後の人生に辛く、重くのしかかってきたのでした。
「河合にはあんなふうになって欲しくないな。」
その瞬間、私の脳裏にはそんなことが蘇っていました。
大藤監督も河合が加藤選手とダブって見えたでしょうか…?
■魔物の仕業か?
ちなみに今大会での準決勝、県岐阜商(岐阜)対日本文理戦で
二塁塁審を務められたのが当時、星稜のエースだった堅田外司昭さんです。
この試合、伊藤が「一世一代のピッチング」(大井監督)をみせ、
新潟県民が夢にも見なかった決勝戦へ駒を進めます。
そしてこの箕島対星稜戦の前の試合が中京対池田(徳島)戦だったのですが、
中京のサードだったのが当時二年生だった大藤敏行選手だったのです。
大藤選手はこの試合、先制のレフト前タイムリーヒットを放っています。
直後、池田バッテリーにウエストされましたが、
スクイズを仕掛けた選手がいました。
レフトを守る磯村昌輝選手。
そう、磯村嘉孝捕手の叔父さんなのです。
不思議な縁ですよね。
この試合、九回に1点を取るものの、ゲーム。
次の試合が球史に残る試合になっているだなんて露知らず、
大藤選手はこの大会12打数5安打4打点の記録を残し、
ただただ悔しい思いで甲子園を後にしたことでしょう。
そして星稜・加藤一塁手が転倒した一塁側ファールゾーン辺りというのは
前の試合で敗れた中京の選手が甲子園の土を持ち帰る際に
人工芝の横の土をごっそり削り取っていたという話があります。
真偽の程はわかりませんが。
◇1979年8月16日 第61回全国高等学校野球選手権大会 三回戦
そしてこの箕島対星稜戦に出ていた三年生たちは私と同級生。
この決勝戦に出ている三年生たちは長男と同級生。
自分が高校三年生の時の選手権大会は特別なもの。
偶然とは言え、いずれの同級生たちもが
高校野球史上に残る名勝負を繰り広げてくれたことは
感慨深いものがあります。
◇1979年8月16日 第61回全国高等学校野球選手権大会 三回戦
■「神様が創った試合」
■箕島対星稜戦の球審だった永野元玄さんからゲーム直後にボールを
手渡されたことが審判の道に進むきっかけになった堅田審判(左)
ちなみに右側の方は兄弟ではありません(笑)
■永野球審から堅田投手へ贈られたボール(写真:甲子園歴史館)
河合は打球を追いかける時に日本文理のサードベースコーチの田辺和貴に
ちょっと接触していました。
接触と言ってもドンとぶつかったのではなく、
打球の方向へ向かおうとした河合の進路に対してちょうど田辺がおり、
若干邪魔になった程度のことです。
ルール上はベースコーチは守備を妨害してはいけないことになっています。
確かに田辺は邪魔にはなったのかもしれませんが、
少なくとも意図的に妨害したようには見えませんでした。
河合は試合後も「ボールを見失いました。ただそれだけです。」と
多くを語りませんでした。
私はその時思わず空を見上げました。
太陽が目に入ったのか?と思ったからです。
夏の終わりの15時過ぎ、空は真っ青でした。
確かに太陽はサードの守備位置から見上げると
目に入るかもしれない高さにあります。
このプレーの直後、河合は田辺に何か言っているようにも見えます。
でも試合直後のインタビューで彼は一言もベースコーチのことには
触れていません。
「風が吹いてて……風に流されて、見失ってしまったんです。
よくわからないんですけど。」
その後のインタビューでも決して
ベースコーチのことには触れませんでした。
河合のスポーツマンシップは素晴らしかったと思います。
ただこのプレーが守備妨害に当たるかは難しいところです。
明らかに妨害しているわけではないので、
審判も取りにくいプレーと言えるでしょう。
しかもこの流れの中で守備妨害を取るのは審判としても勇気がいるところです。
中京大中京サイドからすると、
守備妨害をアピールしたいのはやまやまだったかもしれません。
高校野球のルール上は、当該選手の河合か山中主将、
大藤監督からの伝令を受けた選手にアピール権があるので、
流れを変える意味でもベンチは確認のための伝令を出す選択肢も
あったかもしれません。
いや、ベンチもそこまでの余裕がなかったのかもしれません。
-----------------------------------------------------------------------------
●公認野球規則7・11 「守備側の権利優先」
攻撃側のプレーヤー、ベースコーチまたはその他のメンバーは
打球あるいは送球を処理しようとしている野手の守備を妨げないように
必要に応じて自己の占めている場所(ダッグアウト内またはブルペンを含む)を
譲らなければならない。
ランナーを除く攻撃側チームのメンバーが、
打球を処理しようとしている野手の守備を妨害した場合は、
ボールデッドとなって、バッターはアウトになり、
すべてのランナーは投球当時に占有していた塁に戻る。(以下略)
-----------------------------------------------------------------------------
守備を妨害したために捕球できなかったと審判が判断した場合は、
守備妨害となり、バッターがアウトになります。
妨害したかどうかはあくまでも審判の判断です。
また一部では河合が落球したと表現しているメディアがありますが、
彼は落球はしていません。
全くボールを触っていないのです。
■ボールが…
------------------------------------------------------------------------------
*このファールフライ見失いについて、
日本文理のサードベースコーチだった田辺和貴氏に
事実を確認することができました。
河合選手と田辺選手は確かに接触はしたそうです。
しかし河合選手は最初から打球を追う方向がおかしくて、
打球が上がった瞬間、田辺選手は明らかにぶつからないと
思ったので動かなかったとのことです。
このプレーの直後、河合選手は堂林投手にむかって
「ドンマイ、ドンマイ」と言っていたそうです。
ぶつかったことについて田辺選手に
文句を言っていたわけではないそうです。
よって河合選手が目測を誤ったことが原因のようです。
(2012年12月2日追記)
------------------------------------------------------------------------------
動揺した堂林は次の投球を吉田に当ててしまいます。
6対10、二死一三塁。
中京大中京ベンチはもう余裕がなくなってきています。
堂林も帽子を取る余裕さえないようです。
■132km/hのストレートが直撃
■朝妻、吉田、村山※
堂林に替えてファーストに回っていた二年生森本をマウンドへ戻します。
堂林で締めることができません。
「後ろにチーム一、頼れるバッターがいたので、
どんな形であれつなぐことができたんで良かったです。」
「もしかしたら、お母さんが力を貸してくれたのかもしれません。」(吉田)
そう、吉田のお母さんは前年1月に早世したのでした。
日本文理に進学するか迷っていた吉田の背中をそっと押してくれたのが
お母さんだったのでした。
「それにしてもね、日本文理のね、その精神力は大変なもんですね。
ボールを見極めるというねぇ、この素晴らしさ、
これはね、ただ単に技術だけじゃないんですね。」(渡辺監督)
■大藤監督、たまらずピッチャー交代
球場内で撮影された動画
球場内の様子です(Part 1)
球場内の様子です(Part 2)
組み合わせ抽選会でのこと。
日本文理の抽選は49代表のうちの46番目で
残っていたのは菊池雄星(埼玉西武)を擁する花巻東(岩手)の枠。
これは当たりそうだと思っていた時、花巻東はふたつ前で
長崎日大(長崎)との対戦が決まります。
中村主将が引いたのは春夏を通じて初出場の藤井学園寒川(香川)。
初戦では選手に固さがみられましたが、この試合をものにしてからは、
リラックスしてプレーしているように見えました。
準優勝までいけたのは、寒川戦でのキャッチャー若林の
ファインプレーがあったからだと言ってもいいかもしれません。
2対3の一点ビハインドで迎えた七回裏、二死二塁の場面、
一塁ベンチ前に上がったファールフライを若林はスライディングキャッチで
好捕します。
ミットの先からボールの頭が出るくらいのギリギリのプレーでした。
このプレーで勢い付いた日本文理打線は八回表に
高橋隼之介の同点ツーベース、
武石の決勝タイムリーで勝ち越します。
夏の大会で初めて勝った日本文理は持ち前の打線が爆発し勝ち進んでいきます。
三回戦、日本航空石川(石川)、準々決勝、立正大淞南(島根)と
初出場校との試合が続いたのも幸運だったかもしれません。
◇2009年8月15日 第91回全国高等学校野球選手権大会 二回戦
◇2009年8月19日 第91回全国高等学校野球選手権大会 三回戦
◇2009年8月21日 第91回全国高等学校野球選手権大会 準々決勝
◇2009年8月23日 第91回全国高等学校野球選手権大会 準決勝
■「全国制覇」
■この握りは?
日本文理打線は大会史上初の二試合連続毎回安打を記録しています。
三試合連続がかかった県岐阜商戦の一回裏が三者凡退で
記録は途切れましたが、この試合も二回から最終回まで毎回安打。
大会を通しても全42イニング中、安打がなかったのがわずかに4イニングだけ。
二回戦・寒川戦の三回と四回、準決勝・県岐阜商戦の一回、
決勝・中京大中京戦の五回です。
日本航空石川戦で20安打、立正大淞南戦で19安打。
あと一安打出ていればこれも史上初の二試合連続20安打の記録に
なるところでした。
5試合とも二桁安打を記録し、チーム打率.398は中京大中京の.388を抑えて
出場校中トップです。
九番中村に至っては、ベスト8以上での大会打率記録.727を
一時は上回る勢いでヒットを量産し続けていました。
どこからでも打てる打線です。
■ユニフォーム、帽子 (写真:甲子園歴史館)
●五番・高橋義人(6対10、二死一三塁)
打席の五番高橋義人はその好調日本文理打線にあって、
いやそれどころか大会出場選手中、最高打率.636を誇っている好打者。
今大会ではすでに2本のホームランを放っており、今日も3安打。
「2アウトになってから切手からずっと続いて自分まで回ってきて、
みんな後ろにつなげる意識でやってたと思うんで、
自分も次のバッターの伊藤に回そうと、つなげようとずっと考えていました。」
初球から振っていきます。
ボール球には手を出しません。
森本も懸命の投球を続けますが、粘る高橋義人。
「ホントに四点差がついてる2アウトとは思えない雰囲気ですね。」
(吉田監督)
そうなんです。
冷静に考えれば、四点差なんです。
慌てる必要なんて全くないんです。
でもあの場の雰囲気は吉田監督の言葉通り、異様なものでした。
球場全体が日本文理を応援しているような感じ。
球場が簡単には終わらせないぞ、とでも言っているかのような雰囲気。
そこに居た者たちだけが感じ取れるものだったかもしれません。
その中で高橋義人は涼しい瞳で森本を見つめます。
見つめられた森本はフルカウントにしてしまいます。
6球目は一塁線の強烈なファール。
「これなんです。これが日本文理打線なんです。
正にずっと練習を積んできた一球バッティングの成果、
最後の最後で発揮しています。」(小縣アナ)
7球目の際どい球も伸び上ってカットします。
「おおーっ」という何とも言えない声が甲子園を埋め尽くします。
渡辺監督が思わず唸ります。
「新潟のね県民のね、総意がひとりひとりに
乗り移っているような感じがしますね。」(渡辺監督)
(いいこと言うねぇ〜:管理者注)
このタイミングでネクストバッターズサークルの伊藤に
中村主将が何やら声を掛けに行きます。
「おおぅ」
伊藤がそんなふうに答えたように見えます。
遂に根負けしたのか、森本の投げた8球目は低くはずれて四球になり、
いよいよ二死満塁。
一発同点の場面が出来上がります。
■五番・高橋義人※
■正にこれがつなぐ野球
●六番・伊藤直輝(6対10、二死満塁)
打席には六番エースの伊藤。
この大会の直近三年間の決勝戦はエースが最後のバッターになっています。
・2006年 斎藤佑樹(早稲田実)対田中将大(駒大苫小牧)→三振
・2007年 久保貴大(佐賀北)対野村祐輔(広陵)→三振
・2008年 福島由登(大阪桐蔭)対戸狩聡希(常葉菊川)→投ゴロ
果たして伊藤が打ち取られて、四年連続となるのか?
それとも今年でジンクスは打ち止めとなるのか?
今日の伊藤はセンター二年生・岩月宥磨の超ファインプレーに阻まれましたが、
センターオーバーの大飛球を放っています。
■このプレーがなかったら日本文理がリードしていたかも…
■三塁走者・武石※
■二塁走者・吉田※
■一塁走者・高橋義人※
打席に入る前、サードベースコーチの田辺が伊藤に声を掛けます。
その声に笑みで返す伊藤。
いつの間にか球場全体が異様な感じになっています。
「イトウ!イトウ!」の大コールが湧き上がっています。
バックネット裏もいつしかみんな日本文理の応援をしています。
果たして高校野球で個人の名を呼ぶコールってあり得るでしょうか?
明徳義塾対横浜戦での投球練習をする松坂大輔への松坂コールはありましたが、
今回の伊藤コールはその比ではありません。
三塁側アルプスを除いた球場全体が伊藤の名を呼んでいます。
その声はだんだん大きくなっていきます。
「イトウ!イトウ!」
もう何がなんだかわかりません。
手を叩きながら一緒に叫びます。
「イトウ!イトウ!イトウ!イトウ!」
あんなに大きく鳴り響いていた一塁側アルプスからのチャンスマーチが
伊藤コールでかき消されてしまっています。
一体、これは何?
胸がいっぱいになります。
鳥肌が立ちまくります。
場内のビールの売り子たちももう仕事どころではありません。
商売そっちのけでグラウンドのプレーに見入っています。
球場全体が伊藤を応援しているような雰囲気の中、
森本はストライクが入りません。
カウントは0-2。
■六番・伊藤直輝※
■高校野球史上、最高のシーン
伊藤はこの打席は「もう打てるとしか思わなかった。」と言っています。
そして「球場に呼ばれている気がした」とも。
その言葉通り、伊藤コールが後押しする中、
3球目を打った打球は三遊間を真っ二つ。
打った瞬間、伊藤は手を叩きガッツポーズで一塁へ。
三塁から武石が生還、
サードベースコーチ田辺は二塁走者吉田へホーム突入の指示。
吉田は三塁を回ります。
守備固めでレフトに入っていた盛政仁至からはノーカットで
ツーバウンドの好返球が返ってきます。
しかしキャッチャー磯村は返球が返ってきていないかのように
キャッチングの体勢をわざと取りません。
三塁から生還した武石と、
ネクストバッターズサークルにいた石塚雅俊が滑り込むよう指示します。
アウトか?セーフか?
伊藤のバットを下げながら球審・日野さん、判定態勢を取ります。
ギリギリのプレーの判定は「セーフ」。
日野さん、ナイスプレーです。
朝日放送はすかさず銀傘テッペンのカメラからの映像をリプレイします。
その映像は磯村のタッチが追いタッチになっており、
吉田が一瞬早くベースタッチしていることを教えてくれています。
破ったぁ~、またつないだ。
一人ホームイン、そして二人目もホームイ~ン!
つないだ、つないだ、日本文理の夏はまだ終わらな~い!
10対8、六点差が二点差に変わりました。
何と表現していいのかわからない
日本文理の最後の最後の凄い粘りだぁ~っ!
ギリギリのプレーでした。よく還ってきました。(小縣アナ)
吉田はこの走塁についてこう語っています。
「レフトの守備位置が深くて三塁を回った時はまだ捕球前だったので
セーフになると思いました。
僕はサードコーチは見てなかったと思います。
でもスライディングした時にキリギリだったのでビックリしました。」
この打席、伊藤が振り返ります。
「ネクスト(バッターズ)サークルからバッターボックスに行くまで、
自分の背中の方で声が聞こえてて、
打席に入って、相手がボールになるにつれて歓声が大きくなっていて、
あの中で自分が打てて、それでまた吉田も還ってきてくれて、
まだ攻撃できるチャンスがあるっていうことで嬉しく思いました。」
「(伊藤コールのお陰で)あれほど緊張する場面だったのに、
全然緊張せずに打席に立てました。」
「あんな経験は、きっともうないんでしょうね。」
「自分の名前を呼んでくれて、泣きそうになりました。」
(呼んでる側だって泣きそうだったよ(T_T):管理者注)
「あんなこと、初めて。背筋が震えたね。」(大井監督)
■吉田、ナイススライディング!※
■球審・日野さん、ナイスジャッジ!※
■伊藤、雄叫び
■一塁走者・伊藤※
●七番・代打 石塚雅俊(8対10、二死一二塁)
8対10で、二死一三塁。
一塁走者の伊藤にファーストベースコーチの村山良太と
ベンチから防具を受け取りに来た朝妻翔が声を掛けます。
ここで日本文理ベンチは代打を送ります。
七番の打順はもともとは湯本の打順でその時は二年生・矢口正史の打席でした。
湯本が先発し、途中で守備固めの選手と交替するのが
日本文理のパターンでした。
この時、大井監督は二年生の平野汰一を代打で出すつもりでした。
しかしベンチでは主将の中村ら三年生が三年生の石塚を出してほしいと
大井監督に訴えていました。
石塚本人も「絶対に打ちます!」
でも大井監督はダメだと突き放します。
「だって石塚は打ってねぇだろう?!」
確かに石塚は前の試合で代打で三振しています。
新潟大会でも一度も試合に出ていないのです。
それでも中村らは引き下がりません。
「今度は絶対打ちます。ですから石塚でいきましょう!」
三年生たちの勢いに大井監督も遂に押し切られてしまいます。
代打石塚が告げられます。
控えのキャッチャーの石塚は大井監督の教えを思い出していました。
「代打への初球は変化球で入れ」
その教えの通り森本の初球はカーブ。
それを待っていた石塚は見事にレフトへはじき返してしまいます。
さっきは好返球をしたレフト盛政が今度は弾いてしまいます。
二塁走者高橋義人が9点目のホームイン。
一塁走者伊藤は三塁へスライディングし、ガッツポーズ。
これもヒットになる。二塁ランナーは三塁キャンバスを回った、回った、
還ってきたぁ~、一点差ぁ~~~!!!(声がひっくり返る)
日本文理、いよいよ一点差。
代打石塚、タイムリーヒット。
とんでもないことが起こっている甲子園球場
九回表五点取って一点差 10対9!(小縣アナ)
実はこの石塚、カーブが全く打てないのです。
練習試合でも全く打てない。
大井監督が振り返ります。
「カーブが全く打てない石塚があの場面でカーブを打ってしまう。
これが甲子園なんだなぁ。」
石塚は言います。
「自分は代打でずっと結果残してなくて、
でも初球から振るってことはずっと続けてきてたんで
それを打席に立った時に、
初球から思いっ切り振っていこうというふうに思ってたんで
それが最後の打席にできて良かったと思います。」
「ネクスト(バッターズサークル)にいる時は心臓がバクバクでした。」
「人生で一番いい当たりでした。」
■心臓バクバクしてます(^_^;)※
■七番・代打石塚※
■カーブが全く打てないはずなのに…
石塚が打った瞬間、私は思わず「やったー!」と叫んで立ち上がります。
石塚がやったのと同じ思いっ切りのガッツポーズ。
しかし立ち上がった瞬間、スコアブックと赤鉛筆と携帯も
一緒に立ち上がってしまいます(笑)
私は嬉しさを爆発させつつも、
周りの人に「すみません、すみません。」と謝りながら
落ちたスコアブック、赤鉛筆、携帯を拾う羽目になります。
携帯からは電池パックがはずれ、バラバラ。
赤鉛筆はコロコロスタンド席から下へ転がっていきます。
もう何がなんだかわからない状態です。
興奮しまくってます!
■あと一点!
■全身で嬉しそう※
■鈴木コーチ※
●八番・若林尚希(9対10、二死一三塁)
9対10、二死一三塁で打席には八番若林。
この回、打者一巡です。
一塁走者には矢口の代打で出る予定だった平野が代走で送られます。
サードベースコーチの田辺が若林に声を掛けに来ます。
この日、若林は堂林から3三振。
しかし森本からはレフト前ヒットを打っています。
打席に入った尚希は三塁走者の直輝にチラッと目をやります。
■世紀の大逆転なるか?
森本が投じた初球、ストレートが低目に外れます。
この時、私は「あれっ?」と思いました。
一点差の二死一三塁ですから、
一塁走者が走ると思っていたのに走らなかったからです。
後日、新潟のテレビの特番でこのシーンについて触れる場面がありました。
実はこの時大井監督からは盗塁のサインが出ていました。
でも平野は走りませんでした。
彼は番組の中でははっきりとその理由を語りませんでしたが、
私は走れなかったのだと思っています。
この場面での盗塁はやはり相当の緊張を伴います。
高校野球で監督のサインを無視することは考えられません。
やはり足が動かなかったとみるべきでしょう。
ちなみに松井秀喜選手への5打席連続敬遠で有名な
第74回全国高等学校野球選手権大会二回戦、
明徳義塾(高知)対星稜(石川)戦、
明徳義塾一点リードで迎えた九回裏、二死一三塁の場面、
つまりこの試合と同じ場面で一塁走者だった松井は二塁へ盗塁しています。
私はこのプレーが、もしかしたら次のプレーの結果を
左右したかもしれないと思うのです。
もし平野が盗塁を企てていたら、
投球はワンバウンドしそうな低目のボールだったので磯村はまず投げれません。
平野は足の速い選手ですので二盗は成功したことでしょう。
すると二死二三塁になりシングルヒットでも一打逆転の場面になります。
若林は引っ張り専門なのでレフト方向の打球が多く、
守備側は二塁走者のホームインは絶対に防がないといけません。
レフト前ヒットでの同点は仕方がないので、
レフト線へのツーベース性の当たりは阻止したいところです。
そうするとサードはどうしてもライン際に守備位置を変えざるを得ません。
実際、この回の先頭打者だった時の若林は三塁線へ強烈な
ファールを打っています。
そして先頭打者だった時の河合の守備位置は若干、ライン際に寄って
いたのでした。
そしてもうひとつ。
二死一二塁で石塚がレフト前ヒットを打った場面。
一塁走者の伊藤は躊躇することなく、二塁を蹴って三塁へ向かいます。
レフト盛政が弾いたので、セーフになりましたが、
普通に捕っていたとしたら、暴走と言われても仕方がないタイミング。
打球が強烈だったのでここは無理する場面ではありません。
盛政が弾いたことを見て、伊藤は三塁に向かった可能性は充分、考えられます。
しかしセオリーからするとここは二死一二塁でいい場面。
そうなったら、サード河合はレフト線の当たりでの二塁走者の生還を防ぐために
三塁線を詰めて守っていたかもしれません。
中京大中京とすれば、盛政が打球を弾いたことが、
逆に勝利につながったとも言えるかもしれません。
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*この走塁について、
一塁走者だった伊藤直輝氏に確認することができました。
伊藤選手はレフトが弾いたのを見て三塁に行ったそうです。
もし弾かなかったらオーバーランをして帰塁していたということです。
よってレフトが弾かなかったら、二死一二塁だったことになります。
(2013年1月26日追記)
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しかし実際は盗塁しなかったので、伊藤は三塁へ進塁したので一三塁。
河合は三塁にランナーがいますが三塁ベースからは離れて守備位置をとります。
今度は若林コールが起きています。
三塁側アルプスのチアリーダーからは「頑張れ~」の声、声、声…
「あつまぁ~!」
ライトに回った堂林がセンターの金山篤未に向かって叫びますが
まったく届きません。
焦る中京大中京ナイン。
「早くアウトになれ」とサード河合。
「やばいなぁ」とキャッチャー磯村。
幼なじみの直輝が三塁塁上から見つめます。
「打て!尚希!」
追い詰められた森本が若林への2球目を投げる直前、
サード河合は三塁線側へ一歩足を踏み出します。
バットをふた握り短く持った若林は2球目の136kmのストレートを
思いっ切り叩きます。
カキーン!
いったぁ~!
快音を残した打球はその行方を追う間もなく、
サード河合のグラブに吸い込まれていきます。
サードライナーでゲーム。
打席近くで思わず倒れこむ若林。
放送席の渡辺監督、吉田監督は「うぅぅ~っ」と声にならない声。
かつて最後の打者が打った後、その場で倒れ込んで終わった試合が
あったでしょうか?
若林の何とも言えない表情が印象的でした。
スポーツに「たら、れば」は禁句ですが、
もし二三塁または一二塁だったら、サード河合が三塁線寄りに一歩でも
守備位置を変えていたとしたら、
あの当たりだとヒットになった可能性が高いと思われます。
そうしたら同点、2アウトですから逆転もあったかもしれません。
もしくは河合が打球を弾いて打球がファールグラウンドに点々とし、その間に…
もし若林の当たりが抜けて二塁打になり一塁走者が三塁へ進塁した場合、
同点で二死二三塁の場面になります。
次の打者は九番の好調の中村。
一塁が空いているので中京大中京バッテリーは中村を歩かせて、
この日ノーヒットの一番切手と勝負に出たかもしれません。
同点の二死満塁で森本対切手の勝負。
どうなっていたでしょうか?
想像を始めるとキリがないです。
15時31分、球史に残る猛反撃はこうして突然、幕を降ろしたのでした。
■八番・若林尚希※
■カキーン!
■あと一歩、ライン際に寄っていたとしたら…
■快音を残したが…
「自分から始まった回で、自分が倒れてそれからみんながつないでくれて、
自分に回ってきた時はちょっと緊張したんですけど、
その時に中村が声を掛けてくれて、自分の中でも気持ちが楽になって、
甘い球を思いっ切り振ったですけど、
結果的にサードライナーになったですけど、
悔いのない自分らしいバッティングが
できたかなっていうのはあります。」
「打った瞬間は手応えもあったし『いった!』と思いました。」
「もちろん全力を尽くしたので後悔は全くありません。
でも試合後は悔しかったです。」(若林)
「正直、やられるんじゃないかって思いました。
あそこでライナーが抜けていたら、あれで負けていたら、
僕は一生野球ができない。
最後は、神様がもう一度、チャンスをくれたんだなって思いました。」
「顔の真横だから反応できましたけれど、
正面だったら弾いていたかもしれません。
今でも、あの時のライナーのことを考えるとぞっとしますね。」
「ゴロだったら捕球して、送球してというハードルがありますが、
最後がライナーだったのも何かの巡り合わせ。」
「ホッとしました。勝ててよかったです。」
「センバツを思い出しました。
まさかまた負けるんじゃないかと思いました。」(河合)
「打球が速く、アッと思いました。」(森本)
「打球が見えず、完治がボールを捕った格好をしたので、
捕ったんだと思いました。」(堂林)
「最後の打球を見ていなかったので、
優勝の瞬間は何が起きたのか分かりませんでした。
マネージャーに訊いて、アウトになったことがわかりました。」(大藤監督)
■若林に声を掛けるサードベースコーチ田辺
直後、直輝も尚希に声を掛けます。「ナイスバッティング!」※
■優勝決定! (写真:甲子園歴史館)
でも私は9対10で終わって良かったと思っています。
もし日本文理が勝っていたら、負けた責任はどうしても河合ということに
なってしまいます。
自分のせいで負けたという重荷を一生背負っていくのは酷な話です。
彼は野球選手として将来があります。
星稜・加藤選手のような思いはもう誰にもして欲しくありません。
そういう意味でもこのまま終わって良かったと思うのです。
最後の打球がファールフライを見失った河合のグラブに収まったことで、
彼はまたこれからも野球を続けていけるのです。
野球の神様はいるのですよ。
もし同点あるいは逆転した場合、
九回裏の中京大中京の攻撃は二番國友賢司からの打順。
河合、堂林、磯村のクリーンアップをここまで147球を、
この大会656球を投げている伊藤が果たして無得点で抑えることができたか?
その答えは誰にもわかりません。
日本文理は七番の打順で内野手の平野を代走に出しましたが、
もともとはセンターを守る選手の打順。
残っていたのは控え投手の奥浜真隆と高橋洸、控え捕手の笹川だけでした。
そうすると九回裏は誰がセンターの守備についたのでしょうね?
もし中京大中京がサヨナラ勝ちしてもこんな感動は残らなかったと思います。
延長になって日本文理が勝ったとしてもです。
もし河合がファールフライを捕っていたら6対10。
8対10のスコアでも微妙です。
やっぱり9対10、これしかありません。
もうひとつ、もし日本文理が後攻だったらどうなっていたでしょうか?
その場合は六点差を逆転してでのサヨナラ勝ちで優勝が決まるという
新潟出身の水島新司の漫画にさえ出てこないような逆転劇に。
もしかしたら中京大中京が後攻だったことが最後の最後での
大逆転劇にまで至らなかったひとつの要因だったのかもしれません。
そうなると山中主将がじゃんけんに勝ったことが勝因っていうことにも(笑)
ちなみに山中主将はチョキを、中村主将はパーを出して中京大中京が後攻を
選択したそうです。
準決勝の花巻東戦で山中主将が最初、チョキを出してアイコになったことを
伝え聞いていた中村主将。
ところがなぜか中村主将はパーを。
もしいつも通り、グーを出していたなら…
この大会、中京大中京はずっと後攻で勝ってきており、日本文理が後攻を取れば
リズムが崩れるのではと考えていたのに。
■バックネット裏正面から
歴史的決勝戦のゲームの瞬間をこの場所から観れたこと、ただただ感謝です
■ウイニングボールは中京大中京に渡りました※
■互いの健闘を称え合います※
ゲーム直後、中京大中京・山中主将はショートの守備位置から
誰とも喜びをわかち合うことなく、
真っ先にホームプレート前に整列に走ります。
いつものマウンド付近で一本指を掲げるシーンはそこにはありません。
今大会二回戦の関西学院戦でのこと。
九回表に同点に追いつかれ、嫌なムードだった中京大中京。
その裏、河合のサヨナラホームランが出て、ホームベース近辺で
河合に抱き付く中京大中京の選手たち。
それを制止し、早く整列するように促していたのが山中主将でした。
試合終了のサイレンが鳴り響く中、
両チームの選手たちが互いの健闘を称え合います。
泣きじゃくる河合のところへ切手が真っ先に声を掛けに行きます。
続いて高橋隼之介が、若林が、中村が、伊藤が…
♩「ここ八事山 東海の」♫
バックネット裏正面最前列、向かって左から三番目の席の我が師匠ラガーさんも
校歌に合わせて手を叩いて優勝を祝福します。
■校歌を歌う中京大中京の選手たち※
この夏、日本文理は初めてベンチ前で相手校の校歌を聞きます。
伊藤がベンチ前に整列した選手に声を掛けます。
「帽子、取れ」
■ベンチ前の日本文理の選手たち※
中京大中京の校歌の一番の最後のそして二番の最初のフレーズ
「見よ躍進の先輩の業績」って何と読ませるかわかりますか?
「見よ躍進のとものあと」と読ませるんです。
中京商、中京、中京大中京と校名の変遷はありますが、
その長い歴史を垣間見ることができる歌詞だと思います。
作詞の佐々木信綱は唱歌「夏は来ぬ」の作詞でも有名な国文学者、歌人です。
作曲の弘田龍太郎の唱歌「浜千鳥」「雀の学校」「春よ来い」「鯉のぼり」は
誰もが一度は口ずさんだことがあると思います。
■中京商時代は「ここ八事山」が「ここ川名台」、
「凛乎(りんこ)とかざす」が「牙籌(がちゅう)にかざす」でした。
甲子園で最も多く流れた校歌です♫
中京大学附属中京高等学校校歌<
中京大中京グラウンドの一塁側には「留魂」と彫られた記念塔があります。
みんなが苦難に耐えた
みんなが死線を越えた
みんなが栄光を握った
みんなが伝統を守った
そして今も
みんなが見守っている
応援している
願っている---
題字は吉田正男、碑文は三連覇時のショート杉浦清、
文字は1938年春優勝メンバーの瀧正男。
彫ってある絵はプレーする選手よりグラウンド整備する選手が
手前になっています。
「みんなで」という伝統がここにも息づいています。
校歌を歌い終わって一礼してアルプススタンドへ挨拶に向かう
中京大中京の選手たち。
しかし彼らの誰ひとりとして我れ先へとスタンド方向へ走り出した者は
いませんでした。
優勝したのだから一刻も早く応援席の方へ駈け出したいと思うのが人情です。
でも最後まできちんと礼をし、みんなが顔を上げてから全員が走り出しました。
名門校の教育が行き届いている姿を見せてもらいました。
これも感動的なシーンでした。
■バックネット裏スコアボード
大観衆からの拍手はいつまでも鳴りやみません。
バックネット裏のお客さんはみんな立ち上がって拍手を送り続けています。
「ナイスゲーム!」そんな声も飛んでいます。
「九回は声にならない声援。頑張れ、頑張れの大合唱でした。
中京商業、中京高校時代のユニフォーム姿のOB達は泣きながら笑っています。
三塁側でした。」
「一塁側です。拍手が続いています。
初めての長い夏。アルプスの表情は晴れやかです。
泣いている人は見えません。
『いい夏だった』と声が飛び交っています。
ここまでやれる、スタンドは自信に満ち溢れています。一塁側でした。」
(NHK、ゲーム直後のアルプススタンドからのレポート)
■一塁側アルプススタンド※
勝った中京大中京の選手が泣いて、負けた日本文理の選手が
笑顔だったのが印象的でした。
小学生の時からバッテリーを組んできた若林の打球が
目の前に飛んできてゲーム。
伊藤は不思議な感覚を感じたと言います。
「若林が最後の打者で終われてよかったです 。」
「盗塁はスタートが切れたら行け、その時、打者はウエイトではなく、
打てるボールは打ち、スタートがよかったら待つ」
日本文理ではこんな取り決めをしていたようです。
ですから一塁走者への盗塁のサインが出ていた場面ではありましたが、
若林はストライクを好球必打したわけです。
>
■日本文理ユニフォーム(伊藤直輝氏寄贈) (写真:甲子園歴史館)
小学生の時は最初は若林がピッチャーで、伊藤がキャッチャーだったそうです。
関川中学校(2005年、関谷中学校と女川中学校が閉校し
関谷中学校の地に開校)へ進学した二人は、軟式野球部へ入部。
三年生の時には新潟県大会で準優勝して、北信越大会に出場しています。
この時優勝したのが、吉田中学校。
(私の長男も北信越大会に出場しており、
この吉田中学校に準々決勝で延長戦でサヨナラ負け。
今でもセンター前に抜けていく打球が目に焼き付いて離れません。)
吉田中学校はこの後、第23回全日本少年軟式野球大会、
第28回全国中学校軟式野球大会のふたつの全国大会で連続第3位という
新潟県中学野球、始まって以来の快挙を達成しています。
そして吉田中学校の主力メンバーの多くは新潟商へ進学したのでした。
関川中学校は北信越大会では初戦敗退だったこともあり、
私の関心は専ら新潟商で、日本文理は眼中にありませんでした。
この時の新潟商は新潟県央工に準々決勝で延長13回の激闘の末、敗れ、
新潟県央工は準決勝で日本文理に敗れています。
■吉田中 全国大会連続出場記念プレート
【リンク】
新潟大会
■新潟大会優勝決定の瞬間※
■感極まる伊藤※
■最高の仲間と※
■このバスで数々の遠征へ
■応援団の太鼓
■練習中
日本文理と新潟商は前年の秋季大会で対戦し、
伊藤、武石のホームランが出て日本文理が勝っています。
◇2008年9月20日 第119回秋季北信越高校野球新潟大会 準決勝
秋季大会での新潟商は、決勝で日本文理に大逆転された
富山商に惜敗し、センバツへの夢が絶たれたのでした。
◇2008年10月18日 第119回秋季北信越地区高校野球大会 準決勝
■関川中グランドのホームベースから校舎を臨む
■中学時代の主将・伊藤投手と若林捕手
(第27回北信越中学校総合競技大会 軟式野球プログラムより)
■第27回北信越中学校総合競技大会<軟式野球競技>
試合後のインタビューで堂林が
「もう最後ホント苦しくて…(絶句)
最後まで投げたかったんですけど、ホント、情けなくてホントすみませんでした。」
と泣きながら謝る姿は、今までの決勝戦ではあり得なかったことです。
私は彼に名門校の意地とプライドをみたような気がしました。
インタビュアーの方が
「堂林君、謝る必要はないですよ。
凄いピッチングと凄いバッティング、日本一ですよ。」
と声を掛けるのが何とも良かったです。
球場で優勝インタビューを受ける山中主将とエース堂林、
毎年優勝インタビューを見てて思うのですが、
このお立ち台に登れる二人は、
全国の高校球児の中で最高に幸せな二人だと思うのです。
もし日本文理が勝っていたら、
中村と伊藤はどんな言葉を口にしたのでしょうね…
【リンク】
優勝インタビュー
■史上初、涙の優勝インタビュー
大会歌「栄冠は君に輝く」をバックに場内を一周する両チームの選手たち。
その姿を見て大藤監督は思わず、目頭を押さえます。
前回の優勝から43年。
「大藤では勝てない」
そう言われた時期もあったと聞きます。
名門校の監督としてOB、学校関係者からの多くのプレッシャーを背負い、
今回の優勝でさぞかしホッとしたことでしょう。
■「栄冠は君に輝く」歌碑
両チームはスコアボードをバックに記念撮影。
堂林は切手にこう言ったそうです。
「普通は振るよなー(空気を読め!)」(笑)
河合は記念撮影中もずっと泣いてたそうです。
日本文理にも帽子で顔を覆い、涙を隠していた選手がいました。
最後の打者になった若林です。
大井監督は1959年の第41回全国高等学校野球選手権大会で
宇都宮工(栃木)の四番エースとして活躍しました。
二回戦から登場した宇都宮工は九回に1点差に迫られる接戦を勝ち上がり、
準々決勝では九回サヨナラ勝ち、
準決勝では延長十回サヨナラ勝ちとミラクル連続。
決勝戦は延長15回の大接戦でした。
孤軍奮闘だった大井投手は延長15回表に6点を取られ、
西条(愛媛)に8対2で敗れ、準優勝しています。
ですから大井監督にとってはちょうど50年振りの準優勝になるのです。
一方、同大会に出場した中京商は同年のセンバツで優勝しており、
春夏連覇を期待されましたが、一回戦で高鍋(宮崎)に4対0で敗戦。
その時の二塁手は後に同校を春夏連覇に導く杉浦藤文でした
大藤監督はこの恩師・杉浦から半ば強制的に次期監督をさせられたのでした。
そして大井監督と杉浦監督は早稲田大学硬式野球部の同期なのです。
大藤監督は閉会式後の記念撮影の時に大井監督から
「これで藤文にいい報告ができるな。」
と声を掛けられたそうです。
これも不思議な縁ですよね。
◇1959年8月14日 第41回全国高等学校野球選手権大会 二回戦
◇1959年8月16日 第41回全国高等学校野球選手権大会 準々決勝
◇1959年8月17日 第41回全国高等学校野球選手権大会 準決勝
◇1959年8月18日 第41回全国高等学校野球選手権大会 決勝
■「だってここまできたら泣かないと約束したからね。
伊藤のヤローがちょっとうるっときてたから、
『泣くなよ』と言ってやった。
いや、それにしてもたまげたよね。」
■胴上げされる大藤監督※
当日はNHKのテレビとラジオ、
そしてABC朝日放送のテレビ中継がされていました。
この試合、陰の主役が朝日放送の実況だったと思っています。
横浜・渡辺元智監督と清峰・吉田洸二監督のダブル解説、
実況・小縣裕介アナのこの放送は素晴らしかったです。
同年のセンバツ一回戦で日本文理に勝ってそのまま優勝した
清峰・吉田監督には彼等の成長ぶりはどのように映ったでしょうか?
一方、NHKテレビ放送は国営放送だけあって抑えた感じの放送。
サードファールフライの場面に至っては「あっ!」と言った切り、
しばらく沈黙。
愛知県出身の広坂安伸アナ、さすがに声が出ません。
それに比べNHKのラジオ放送は、
この感動をいかに限りある言葉で伝えようかという田中崇裕アナと
解説の長野哲也さんの気持ちが伝わってくる放送でした。
田中アナも愛知県出身ですが
試合後の「素晴らしいゲームでした。」の言葉は
心の底から出た言葉で本当に実感がこもっていました。
そうは言ってもこのゲーム展開ですから、
NHKテレビも次第に盛り上がってきます。
広坂アナも解説の後藤寿彦さんも興奮を隠し切れません。
広坂アナの閉会式で準優勝メダルを受ける矢口への言葉は良かったです。
「三塁コーチ、九回、もう一回手を回したかった矢口」
<でも九回のサードベースコーチは田辺だったんだけどな(笑)>
■陰の主役の三人
それではここで3つの放送を聞き較べてみましょう。
【リンク】
実況中継
文字だけではなかなか熱さ具合を伝え切れませんが、
さぁ、どの放送が一番あの興奮を伝えているでしょうか?
この決勝戦から二年後の第93回全国高校野球選手権大会三回戦で
横浜(神奈川)は三点リードの九回二死一三塁から智辯学園(奈良)に
一挙八点を取られて敗れます。
私はバックネット裏でこの試合も観ていました。
この決勝戦の解説をしていた百戦錬磨の渡辺監督でさえ、
甲子園の魔物には勝てないのです。
そしてこの試合は奈良県勢が神奈川県勢相手に
12戦目で初めて勝った試合だったのでした。
◇2011年8月15日 第93回全国高等学校野球選手権大会 三回戦
そして大藤監督も然り。
第60回全国高等学校野球選手権大会準決勝でのこと。
中京高校はPL学園(大阪)を四点リードして九回を迎えます。
アルプス席で応援していた大藤選手たち一年生たちは宿舎へ一足早く戻って、
洗濯するようにと指示されます。
慣れない洗濯板を使って大量の洗濯物と格闘している頃、
チームは九回裏に四点を追い付かれ、
延長12回に押し出し四球でサヨナラ負けしてしまいます。
宿舎の人からその報を聞いて、信じられない思いだったという大藤選手。
PL学園は翌日の高知商(高知)との決勝で九回表まで
2対0でリードされるも、九回裏に逆転サヨナラで優勝し、
それ以降「逆転のPL」と呼ばれるのです。
そして前述の磯村嘉孝捕手の叔父さん、昌輝選手は
この試合にも出場しているのです。
◇1978年8月19日 第60回全国高等学校野球選手権大会 準決勝(後述)
◇1978年8月20日 第60回全国高等学校野球選手権大会 決勝
実はこのPL学園対高知商の決勝戦が、それまでの春夏を通しての決勝戦で
リードされていたチームが最終回に最も多くの点を取った試合だったのでした。
この試合では二点ビハインドから三点取って、逆転サヨナラ勝ちしています。
また延長戦になった試合の九回に三点差を追い付いたのが以下の試合です。
追い付かれたのは中京大中京の前身の中京商です。
◇1932年8月21日 第18回全国中等学校優勝野球大会 決勝
他には二点ビハインドから同点に追い付いた試合が一試合、
三点ビハインドから二点取ったケースが二試合あります。
と言うか、わずか計三試合しかありません。
◇1949年4月6日 第21回選抜高等学校野球大会 決勝
*九回裏と十回裏に二点差を追い付く
◇2001年4月4日 第73回選抜高等学校野球大会 決勝
◇2006年8月21日 第88回全国高等学校野球選手権大会 決勝 再試合
100年の歴史がある春夏甲子園の決勝戦において、
リードされているチームが最終回に最大で三点しか取ってないというこの事実。
三点取った試合が二試合、
二点取った試合でさえ、わずか三試合。
決勝戦の最終回にリードされているチームが得点すること自体が
いかに困難なことなのかがわかると思います。
それを日本文理は五点取ってしまったのです。
しかも二死走者なしの2ストライクから。
この試合が高校野球の歴史において如何に特異な試合だったのかが
わかると思います。
夏の甲子園決勝という高校野球で最も注目が集まる試合で
実際それは起こったのです。
もし日本文理が逆転していたとしたら、
春夏を通じて4972試合目で初めて最終回に六点差を逆転した試合になる
ところだったのでした。
中京大中京は最大七点差から一点差まで詰め寄られたわけですが、
それ以前には七点差から一点差まで詰め寄った試合があります。
◇2000年8月15日 第82回全国高等学校野球選手権大会 二回戦
■日本文理、甲子園出場記念
ちなみに2009年夏の大会までの春夏全4971試合において、
延長戦を含めた最終回攻撃開始時点でリードされていたチームが
逆転して勝つゲーム展開になる確率はわずか3.1%です。
春…59試合/2009試合(2.9%)
夏…94試合/2962試合(3.2%)
計…153試合/4971試合(3.1%)
また延長戦を含めた最終回に得点が入る確率は29.1%です。
春…1104イニング/4018イニング(27.5%)
夏…1788イニング/5924イニング(30.2%)
計…2892イニング/9942イニング(29.1%)
決勝戦(含む再試合)に限定すると…
春…49イニング/162イニング(30.2%)
夏…57イニング/182イニング(31.3%)
計…106イニング/344イニング(30.8%)
更に決勝戦最終回開始時点でリードされているチームが得点する確率となると
14.0%に下がります。
春…12試合/81試合(14.8%)
夏…12試合/91試合(13.2%)
計…24試合/172試合(14.0%)
最終回に得点すること自体はそうハードルが高いようには思えません。
むしろ決勝戦の最終回の場合の方が、得点が入る確率は若干高いくらいです。
しかしリードされているチームが得点するとなると、
倍以上ハードルが高くなります。
【リンク】
終盤での大逆転ゲーム
【参考】
スコア上位10傑
●春夏通算
●春
●夏
※2009年夏の大会終了時点
■まさかのスコア
朝日放送では試合後のコメントでも
「(中京大中京は)勝った心地がしなかったかもしれません。」
「とてつもない粘りに合いました。」
「(日本文理は)最後の最後まで自分たちの野球を貫き通しました。」
「九回2アウトから五点取っての、もうこれは甲子園、大会史上に残る
歴史的な決勝戦と言っても過言ではないでしょう!
甲子園の大観衆から大歓声が湧き起こっています。」
思わずうんうんと頷いてしまう言葉ばかりでした。
実は実況の小縣アナの本職はサッカー中継なんです。
彼はサッカーの審判の資格保有者で、
朝日放送ではサッカー中継やらせたら、
彼の右に出る者はいないと言われているのです。
そんな彼の実況は高校野球でもピカイチでした。
私は通勤の車の中で朝日放送、NHKラジオ、NHKテレビの
九回表の実況中継をiPadで流しています。
リピート率は朝日放送がダントツです。
あれから随分と時が過ぎていますが、
それでもまったく飽きる気配がありません(笑)
九回表の朝日放送の実況はアナウンサー、二人の解説者と
同時に喋ることができます(汗)
当然 、中京大中京の校歌、歌えます(笑)
■トーナメント表
翌年以降も毎年、甲子園へ足を運んでいますが、
私の中の時計はあの試合から止まってしまっているかのようです。
この試合を見れたこと、高校野球ファンにとって、
これ以上の宝物はありません。
甲子園では今まで数多くの名勝負がありました。
横浜対PL学園、早稲田実対駒大苫小牧、箕島対星稜、松山商対三沢、
熊本工対松山商、済美対駒大苫小牧、報徳学園対倉敷工、広陵対佐賀北、
花咲徳栄対東洋大姫路、智辯和歌山対帝京、徳島商対魚津…
どの試合も甲乙つけ難い名勝負ばかりです。
「一試合だけ生で観戦できるとしたらどの試合を見たいか?」の
問いかけがあったら、迷うことなくこの試合を挙げます。
(実際見ちゃってますが…)
そしてこの試合は「場面」の持つ力というものを強く感じさせてくれます。
この試合は最終的に逆転したわけではありません。
劇的なサヨナラゲームでもありません。
単なる1イニングの攻防に過ぎないのにこれだけ多くの人の心に
刻み込まれているのは
夏の甲子園決勝戦の最終回二死走者なしで起きた、という「場面」の持つ力に
よるものだと言っていいのではないかと思います。
「場面」を持つ力を感じるプレーがもうひとつあります。
第78回全国高等学校野球選手権大会 決勝、
熊本工対松山商、同点、十回裏、一死満塁の場面での
松山商の矢野勝嗣右翼手の「奇跡のバックホーム」です。
このプレーがいつまでも人々の記憶に残っているのは
三塁走者がホームインした時点でサヨナラで優勝が決まるという場面で出た
スーパープレーだったからに他なりません。
「野球は2アウトから」
よく耳にする言葉です。
確かに野球にはタイムアップがないので、
他のスポーツよりは土壇場での逆転が起こる可能性がある
スポーツだと思います。
でもどれくらいの人がこの状況でのこの粘りを実際に予想していたでしょうか。
「諦めないっていうのはこういうことなんだよ。」
大切なことを教えてくれました。
テレビでは伝え切れないあの興奮と感動。
野球って素晴らしい、高校野球っていいぞ!
諦めちゃダメなんだ、可能性はある!
つなげ!つなげ!!つなげ!!!
この試合を見ると、力が湧いてきます。
2013年、東北福祉大の主将になった伊藤も諦めない気持ちを忘れないよう、
このビデオをたまに見るそうです。
■プラチナチケット
球史に残る猛反撃。
夏の決勝、九回2アウトランナーなしからの五点。
「あと一人」から7人出塁。
「あと一球」から4人出塁。
怒涛の19分間でした。
この回に打席に立った延べ10人、堂林と森本が投じた全45球、
日本文理打線はただの一球も空振りをしていません。
四球、盗塁、タイムリー二塁打、タイムリー三塁打、
ファールフライ見失い、死球、四球、二点タイムリー、代打タイムリー…
中京大中京が徐々に徐々に追い詰められていくのが、
手に取るようにわかります。
ランナーが出てからの33球の間、堂林、森本は牽制球を投げるどころか、
プレートを外す余裕さえありませんでした。
そしてこの試合は高校野球の最大の魅力である「ひたむきさ」を
我々に伝えてくれたのでした。
私はこの試合を境に高校野球地獄にはまっていくのです…(笑)
■秋山耿太郎朝日新聞社長より※
■山中、河合、柴田、金山、久保田、堂林、伊藤、岡、宗雲、山田、森本、磯村※
■久保田、堂林、伊藤、岡、宗雲、山田、森本、磯村、竹内、岩月、盛政、宮沢、倉見※
■宗雲、山田、森本、磯村、竹内、岩月、盛政、宮沢、倉見、國友※
■中村、切手、伊藤、若林、武石、高橋隼之介、高橋義人※
■若林、武石、高橋隼之介、高橋義人、湯本、吉田、奥浜、高橋洸、石塚※
■湯本、吉田、奥浜、高橋洸、石塚、田辺、村山、笹川、平野※
■石塚、田辺、村山、笹川、平野、朝妻、矢口※
■安達マネージャー、大井監督※
安達優花マネージャーは決勝戦で記録員としてベンチ入りしましたが、
女性が決勝戦でベンチ入りしたのは第85回夏(2003年)の
東北高校の奥山愛里マネージャー以来2度目。
◆九回表、日本文理の打者への投球数
【リンク】
両チーム試合後の一言
■ずっしりと重い優勝旗と優勝盾
■全国制覇※
■史上最高の準優勝※
【リンク】
第91回全国高等学校野球選手権大会 決勝
■大会優勝旗 (写真:中京大中京ホームページ)
■優勝旗 (写真:中京大中京ホームページ)
■優勝盾
■ウイニングボール (写真:中京大中京ホームページ)
■準優勝盾※
■準優勝フラッグなど
■準優勝までの足どり
■新潟へ凱旋※
■「ご声援ありがとうございました」
【リンク】
おまけ その1(新聞紙面)
おまけ その2(大藤監督、母校を指導)
おまけ その3(仙台育英・高橋竜之介選手)
おまけ その4(引退する金本選手)
おまけ その5(「最終回は、終わらない」)
おまけ その6(「最終回は、終わらない」 with ラガー師匠)
おまけ その7(笹川芳樹さん撮影の写真多数追加)
おまけ その8(第44回明治神宮野球大会 高校の部 決勝)
おまけ その9(日本文理対中越OB戦)
おまけ その10(横浜高校 長浜グラウンド)
おまけ その11(「甲子園のラガーさん」)
おまけ その12(センバツの日本文理)
おまけ その13(春季北信越大会決勝)
おまけ その14(第96回全国高等学校野球選手権 新潟大会 決勝)
おまけ その15(第96回全国高等学校野球選手権大会)
おまけ その16(2014夏 日本文理 甲子園ベスト4 熱闘の記録)
おまけ その17(高校野球 DVD映像で蘇る 不滅の名勝負 Vol.8)
おまけ その18(「中京魂 折れない心の育て方」)
おまけ その19(かみじょうたけしさん)
おまけ その20(大藤敏行さん 育成功労賞受賞)
おまけ その21(朝日新聞特別ガイド)
おまけ その22(朝日新聞 あの夏)
おまけ その23(第99回全国高等学校野球選手権大会)
おまけ その24(為せば成る-日本文理大井道夫監督31年間の足跡 )
おまけ その25(中京大中京、イチロー展示ルーム訪問)
おまけ その26(書籍に多数掲載)
おまけ その27(あれから10年…)
スマートフォンの場合は「PCモード」を使用願います。
New!
2023年10月22日
おまけ その31(かみじょうたけしの高校野球物語)
を追加しました。
◆おまけ記事へのリンク ぜひお立ち寄りください!
おまけ記事へのリンク
球史に残る猛反撃
高校野球史上、最高の場面が今、ここに蘇る!!!
一生忘れられない大切な試合です。
「野球は2アウトから」
一体、誰がいつ頃から言い始めたのだろう?
2009年8月24日(月)13:01 阪神甲子園球場、
第91回全国高等学校野球選手権大会の決勝戦、プレーボールです。
■聖地・阪神甲子園球場※
(写真の※マークについては当サイト一番下の
「おまけ その7」に詳細を記載しています。)
■高校野球では一塁側チームを先に表記します※
■スターティングメンバー※
■体格の差、わかるでしょうか?※
先攻・日本文理(新潟)、後攻・中京大中京(愛知)、
伊藤直輝、堂林翔太、両エースの先発で始まった試合は
初回、堂林の先制2ランで動き始めます。
日本文理も二回、吉田雅俊と高橋義人の連続二塁打、
三回、二年生・高橋隼之介の同点ホームランですぐに追い付きます。
六回表、堂林が死球を与えたところで中京大中京ベンチは堂林を諦めます。
リリーフした二年生・森本隼平が後続を断ち、六回表までは同点のまま。
しかし六回裏、まずは堂林の二点タイムリーで中京大中京が勝ち越します。
その後、日本文理の守備に乱れが出ます。
記録は内野安打でしたが、一塁ベースカバーがガラ空きで追加点を取られます。
そして柴田悠介の走者一掃のレフトオーバーの二塁打で8対2。
この時点で大方の人は勝負あった、と思ったことでしょう。
そう言う私もそう思いました。
七回表には主将・中村大地のライト前ヒットで一点を返しますが、
その裏、河合完治、磯村嘉孝のタイムリーで二点追加します。
八回表には中京大中京のバッテリーミスで日本文理が一点を返します。
そしていよいよ4対10で九回に入ります。
■じゃんけんで勝った中京大中京が後攻を選択したことが勝因に…?
【リンク】
中京商、中京、中京大中京 歴史
【リンク】
中京商、中京、中京大中京 甲子園戦績
学校法人日本文理学園日本文理高等学校の校訓は独立・創造・敬愛。
夏の大会は今大会が初勝利で、センバツでもわずかに2勝。
新潟県代表は春夏で全県の勝ち星を足してもわずかに22勝で全国最少。
それまではベスト8進出が最高で、
ベスト4への進出がないのは新潟県だけでした。
センバツに至っては初出場が第30回大会(昭和33年)になってから。
2回目の出場はそれから18年後の昭和51年。
新潟県から出場した最初の3校で打ったヒットが計3本。
2校目の糸魚川商工は鉾田一(茨城)にノーヒットノーランを食らい、
4校目の新潟明訓が県勢初得点を挙げたのが平成8年。
初タイムリーヒットが平成15年の21世紀枠・柏崎。
初勝利は日本文理の平成18年という遅さ。
46番目に茨城県が初勝利を挙げてから、実に32年が経過していました。
センバツでの勝利はいずれも日本文理が挙げた2勝。(後に1勝を加算。)
センバツでの勝利高校数が1校というのも全国最少。
今まで甲子園で最も勝利している高校と、
今大会まで夏は1勝もしていなかった最弱県代表の対戦。
かつては組み合わせ抽選会で対戦相手が
新潟県代表に決まった学校からは歓声が上がることさえありました。
中京大中京は甲子園171試合目、日本文理は14試合目、
正に大横綱対序の口の対戦と言ってもいい組み合わせでした。
【リンク】
日本文理 甲子園戦績
■学校法人日本文理学園日本文理高等学校
そんな過去の実績から見ても、目の前で展開されているゲーム展開を見ても、
どう考えても中京大中京の圧倒的有利。
これから起こることを47,000人の観戦者は誰一人として
予想していなかったに違いありません。
試合を戦っている両チームの選手たちでさえそうだったと思います。
私は帰りの電車の時間が気になり始めていました。
九回が始まったのが15時10分頃。
16時過ぎの電車には乗れるかな? お土産何にしようかな? そんな感じでした。
■日本文理 寄せ書きボール (写真:甲子園歴史館)
九回からはライトに回っていた堂林がマウンドに戻ります。
大藤敏行監督に最初、登板を直訴した時には
「ダメだ。お前のためにやってんじゃねぇぞ!」
と一旦は却下されています。
しかし「最後は怪我で苦しんだ堂林で」という大藤監督の思いを受けての
マウンドです。
対する日本文理のベンチ。
「せめて最終回は一点取って意地を見せろ」(大井道夫監督)
「あいつらエースで終わらせる気だろ」
「もう、打とうぜ、打とうぜ」
■もうダメか…※
●八番・若林尚希(4対10、無死走者なし)
八番若林尚希がこの回の先頭打者。
バッテリーは守備位置を全体的に左に寄せます。
ランナーはいませんが堂林はセットポジションからの投球で
2-1(以下、当時のストライク、ボールの順で表記)からの
外角低目のスライダーで見逃しの三振に打ち取ります。
ギリギリのコースではありますが、
追い込まれている状況なので手を出したいところです。
打席で若林はヘルメットを脱ぎます。
私には若林が言葉通り、脱帽したかのように見えました。
■八番・若林尚希※
■まさかこの後、もう一度打席が回ってくるとは…
●九番・中村大地(4対10、一死走者なし)
九番中村はここまで16打数10安打、.625と絶好調。
しかし2球目を打った中村の打球は相手主将・ショート山中涉伍へ。
山中は前へ弾きますが、冷静にファースト森本へ送球します。
キャッチャー磯村は一塁ベース近くまでバックアップに走っています。
堂林は6球で簡単に2アウトを取ります。
堂林の表情にも笑みが見られます。
いよいよ最後の時が近づいてきました。
優勝決定の瞬間を撮ろうと、みんな携帯のカメラをかざして
前の方の席へ移動し始めています。
警備員はもう余り制止はしません。
おそらく直後に展開されるであろういつものマウンドで一本指を突き立てて
喜ぶ瞬間が近づいてきています。
私も早く帰る準備をしないといけません(笑)
■九番・中村大地※
■絶好調の中村までが打ち取られ、簡単に二死
●一番・切手孝太(4対10、二死走者なし)
さぁ、中京大中京はあとひとりで全国制覇。
いよいよ「その時」が近付いてきました。
一番副主将・切手孝太が打席に入ったところで、一塁側アルプスの応援が一層、
ヒートアップします。
テーマ曲の「勝手にシンドバッド」がいつもより大きな音で鳴り響きます♫
これから起きることをまるで予感しているかのようです。
「それにしても、このすごい応援ですねぇ」(渡辺監督)
「観客席を見たら誰一人として諦めてなくて、
声を枯らして応援してくれてたんで、
ここで自分たちが諦めたら応援してくれてる人たちが
何のためにいるのかっていうふうに思ったんで。」(切手)
打席に入る前、次の高橋隼之介に告げます。
「隼之介につなぐぞ。」
二遊間を組む高橋隼之介へは全幅の信頼を寄せていた切手。
「二人で一点を取ろうといつも話していました。
僕が得点圏にいる時は必ず還してくれていました。
本当に頼もしく、先輩、後輩も関係なく、信頼し合ってました。」
ベンチ前では控え捕手の笹川貴嗣相手に伊藤がキャッチボールを始めます。
まだまだ諦めてはいません。
切手は2-2と追い込まれます。
三塁側アルプスからは「あと一球」コールが起こります。
このまますんなり中京大中京が43年振りの全国制覇を果たすのか?
後から振り返れば、中京大中京が最も勝利に近づいたのがこの瞬間でした。
ここから勝利の女神は徐々に日本文理寄りに傾いていきます。
ここまでの切手は2球目、初球、初球、4球目と早打ちが目立ちます。
そしてこの試合、まだノーヒット。
この点差ですから最後に自分もヒットを打って終わりたいと思っても
不思議ではありません。
でも切手はフォア・ザ・チームの精神で、
この追い込まれた場面でよくボールを見極め、
一度もバットを振らずにフルカウントにまで持ち込みます。
ここで堂林はキャッチャー磯村のサインに首を振ります。
「堂林がサインに首を振ったので100%スライダーだと思いました。
これまでアイツの決め球は全部、スライダーなんです。
自分は最後のバッターになるかもしれなかったし、
決め球で打ち取って試合を終わらせたいという気持ち、わかりますよ。」
こう語る切手の読み通り、スライダーが外角低目にはずれます。
球種を読み切ってたからこそ、余裕を持って見逃せたのかもしれません。
切手がフォアボールで歩きます。
■一番・切手孝太※
■堂林の心理を読み切って出塁
●二番・高橋隼之介(4対10、二死一塁)
次の二番高橋隼之介はここで球場の雰囲気が変わったと感じたと言います。
彼はこの日、大当りの4の3。
堂林からはホームランを含む3の3。
タイミングが合っていました。
「よしっ!一度下げたピッチャーをまた出してきた。いけるかも。」
「クリーンアップにつなげられるように、
とにかく塁に出ようという気持ちでつなげました。」
■堂林からホームラン
■大会第35号※
アルプスからの応援がチャンスマーチに変わります。
♫さあ~いきましょ~(さあ~いきましょ~)
さあ~いきましょ~(さあ~いきましょ~)
常勝文理(常勝文理)最強文理(最強文理)
いけっ いけっ いけっ いけっ いけ~!
おせっ おせっ おせっ おせっ おせ~!♪
2球目の外角球に手が出そうになります。
振ったか?
キャッチャー磯村が一塁塁審にスイングのリクエストをします。
一塁塁審・長谷川さん、ノースイングのジャッジ、振っていません。
実は彼は2ストライクに追い込まれるまでホームランを狙っていたそうです。
「今だから正直に言いますが・・・
実はこの時『もう一発ホームランを打ってやろう』と思っていました(笑)
2年生が決勝戦で2本ホームランを打ったら史上初めてじゃないか、と思って。
大井監督からのサインも『行け!』だったので、
堂林さんから2本ホームランを打って、
一躍"プロ注"(プロ注目)になってやろうかと、
そんなことを考える余裕が心にありました。」
(「最終回は、終わらない」より)
2-1からの4球目に切手が二盗に成功します。
磯村が捕球できずに弾きますが、いずれにしても、
盗塁は成功していたことでしょう。
「切手さんらしいな。投げてこないと思ったら、すかさず走ったな。」
最後の一球にバッテリーが集中していることを見越した切手らしいプレーです。
高橋隼之介は粘りに粘ります。
簡単には終わりません。
中京大中京バッテリーはなかなかサインが決まりません。
6球目、うまく腕を畳んでレフトへ大飛球を放ちます。
入るかぁ~?
ファールにはなったものの明らかに堂林の表情に変化が見られます。
いや、この場面ではホームランよりもむしろヒットが欲しいところ。
入れば6対10にはなりますが、二死走者なしになってしまいます。
ファールになって良かったのかも。
ここはじっくり攻めたいところです。
■高橋隼之介選手サインボール
粘る粘る高橋隼之介。
小縣アナが言います。
「この粘りは日本文理そして新潟の皆さんに届いているはずです。」
「これはね、スタンドにいる後輩部員にとってはね、
素晴らしい贈りものになりますよね。
『まだまだわからんぞ、まだまだいくんだぞ』というようなね、
気迫が滲み出てますね。」(渡辺監督)
高橋隼之介は9球目を弾き返します。
「粘って、落ちるぅ~~~!
九回最後の粘り日本文理、高橋隼之介タイムリーヒット!
堂林翔太から打ちました。
まだわからない、まだ諦めない。
ファールで粘って粘ってのタイムリーヒット!」(小縣アナ)
左中間の二塁打になり、二塁走者切手を迎え入れます。
これで5対10。
「高橋君は二年生ですから、
来年につながるヒットだと思いますね。」(吉田監督)
結果に一喜一憂せずに常に自分を見失わない姿勢は
二年生とは思えない風格です。
日本文理の反撃のきっかけは切手の冷静な判断と
高橋隼之介の最後まで諦めない気迫から生まれたものだと言っていいでしょう。
ファール、ファールで粘り、ボール球には手を出さない。
投げてこないとみたら、すかさず盗塁。
この粘りが次のバッターにも伝わっていきます。
今から思えば、七回表の先頭打者だった一年生湯本翔太が
粘りに粘って11球目をセンター前に運んで一点取ったことが
上級生たちの心に火をつけたのかもしれません。
監督から「スーパールーキー」と呼ばれる湯本は
この夏、全国でただ一人の決勝に出た一年生でした。
■スーパールーキー 七番・湯本翔太※
そうは言ってもこの時点では「五点差になった」と言うよりは
「よく一点返した」という表現の方が合っています。
まだ誰もこれから起きることを予想できてはいなかったことでしょう。
■二番・高橋隼之介※
■「甲子園球場を沸かせる高橋隼之介のバッティング!」(小縣アナ)
●三番・武石光司(5対10、二死二塁)
三番武石光司は思っていました。
「六回の守備でのミスを何としても取り返したい。」
元々は外野手でファーストの守備はあまり慣れていない武石ではありますが、
それを言い訳にはできません。
ベンチで言われます。
「お前はまだ打ってないけど、どうすんだよ」
主将の中村からはこう声を掛けられます。
「お前が文理の三番なんだ。悔いのないスイングをしてこい!」
四番の吉田からは「俺まで回してくれ。」
中京大中京はここで3回目の守りのタイムを取ります。
ベンチは岡駿吾を伝令に送ります。
しかしこの時点ではまだそこまでの危機感はなかったことでしょう。
「一点差でも勝てばいいわけですから、そういう気持ちになって、
早く終わらせようとする気持ちが一番悪いですからねぇ。」(渡辺監督)
渡辺監督もまさか本当に一点差になるとは思わなかったでしょうね。
武石も高橋隼之介と同じように際どい球はファールにし、
ボール球には手を出しません。
2-1からの4球目、思わず声が出てしまいます。
それくらい際どいボール。
しかし武石は平然と見送ります。
ファール、ファールで粘るその姿に球場からため息と歓声が広がります。
「甲子園球場がこの粘りに沸き返ります。」(小縣アナ)
「凄い精神力ですね。
こういうのは高校野球じゃなきゃ見られませんねぇ。」(渡辺監督)
日本文理はフルカウントを想定した一球バッティングという練習を
積み重ねてきているのです。
たまらずショートから山中主将がマウンドに駆け寄ります。
粘った武石は7球目のスライダーをライト線に弾き返します。
ファーストから回っていたライトの柴田がこの速い打球に追い付けません。
実は柴田が公式戦で外野を守るのはこれが初めて。
この速い打球をうまく処理することができません。
「捕えたぁ~、まだ続く、まだ続く!
ボールはフェンスに達している。
更に一点返しました。打った武石は三塁までいきましたぁ~。
驚異の粘り日本文理、これで四点差!
九回2アウト2ストライクから粘りの連打をみせました!」(小縣アナ)
投げる球がことごとくファールにされて、
どうしていいかわからない中京大中京バッテリー。
キャッチャーの磯村は
「ファール、ファールにされて頭が真っ白になった。」と語っています。
■三番・武石光司※
■打球が速過ぎてライトが追い付けない
堂林はセンバツで九回2アウトから報徳学園に逆転を食らったことを
思い出したのかもしれません。
山中、河合、柴田が出場していた前年のセンバツでも明徳義塾に
延長10回裏2アウト走者なしからエラーをきっかけに
サヨナラ負けを喫しています。
一方、日本文理は前年の秋季北信越大会・決勝で
先発・伊藤が崩れ、八回表まで7対3と富山商にリードされていました。
八回裏に一点取った後、2アウトから8人の打者が続き、
この回七点を取って大逆転したことがあります。
二番手・本間翔太の好投がチームを救ったと言えます。
あの試合の再現なるのか?
◇2009年3月30日 第81回選抜高等学校野球大会 準々決勝
1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 計 | |
報徳学園(兵庫) | 0 | 1 | 0 | 2 | 1 | 0 | 0 | 0 | 2 | 6 |
中京大中京(愛知) | 0 | 1 | 1 | 0 | 2 | 1 | 0 | 0 | 0 | 5 |
◇2008年3月28日 第80回選抜高等学校野球大会 二回戦
1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 計 | |
中京大中京(愛知) | 0 | 0 | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 2 |
明徳義塾(高知) | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 1x | 3x |
◇2008年10月19日 第119回秋季北信越地区高校野球大会 決勝
1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 計 | |
富山商(富山) | 0 | 0 | 3 | 3 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 7 |
日本文理(新潟) | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 2 | 0 | 7 | x | 10 |
私はこの時、スコアブックに赤鉛筆で三塁打を記入する手が
震えているのに気付きます。
長い間、野球を観ていますが、
スコアブックをつける手が震えたのはこの時が初めてでした。
まだ四点差あるのに、この球場の異様な雰囲気は一体何?
■当日のスコアブック
●四番・吉田雅俊(6対10、二死三塁)
続く四番吉田。
彼は練習の虫でした。
打撃センスなら両高橋、長打力なら伊藤と好打者が並ぶ日本文理打線で、
大井監督は「吉田ほど練習している子はいない。」と
彼を四番に据えたのでした。
その2球目、吉田に言わせれば「ど真ん中の絶好球でした。」
彼は「ホームランだ」と思ったらしいです。
しかし力が入り過ぎたのか、体の開きが早く、
ボールの下っ面を叩いてしまいます。
サードファールフライでゲーム…
誰もが「終わった」と思いました。
吉田も「終わったな」
みんな「その瞬間」に合わせカメラを構えます。
■四番・吉田雅俊※
ボールを追うサード河合とキャッチャー磯村。
しかし打球がサードベースコーチ付近に上がっているのに、
なぜか河合と磯村はどちらが捕るんだ、というような追い方をしています。
どう考えてもサードへの打球。
「キャッチャー!」「完治さん!」
最後、磯村が河合を指差しますが、ボールは河合の遥か後方に落ちます。
これが甲子園の魔物なのか?!
「取れないっ!何だ、どうした~!最後のアウトひとつが取れない中京大中京、
まだ日本文理の夏は終わりません。
ちょっと考えられないプレーがでてます。」(小縣アナ)
心無いファンからは「へたくそ~!」の野次も飛びます。
指笛があちらこちらで鳴っています。
記録上、エラーは付きませんでしたが、明らかにおかしいプレーでした。
私はこの時、あるシーンを思い浮かべていました。
それは1979年の第61回全国高等学校野球選手権大会三回戦、
箕島(和歌山)対星稜(石川)戦での延長16回裏、
あと1アウトでゲームという場面で起きたファールフライを追った
星稜・加藤直樹一塁手の転倒シーンでした。
加藤選手はこの年から敷かれたファールゾーンの人工芝の縁に
スパイクの歯が引っ掛かり、転倒してしまったのでした。
命拾いをした森川康弘選手はこのプレーの後、起死回生のホームランを放ち、
箕島は再び延長戦で追い付き、最後は延長18回にサヨナラ勝ちします。
「神様が創った試合」とも呼ばれるこの試合でのこの出来事は、
加藤選手のその後の人生に辛く、重くのしかかってきたのでした。
「河合にはあんなふうになって欲しくないな。」
その瞬間、私の脳裏にはそんなことが蘇っていました。
大藤監督も河合が加藤選手とダブって見えたでしょうか…?
■魔物の仕業か?
ちなみに今大会での準決勝、県岐阜商(岐阜)対日本文理戦で
二塁塁審を務められたのが当時、星稜のエースだった堅田外司昭さんです。
この試合、伊藤が「一世一代のピッチング」(大井監督)をみせ、
新潟県民が夢にも見なかった決勝戦へ駒を進めます。
そしてこの箕島対星稜戦の前の試合が中京対池田(徳島)戦だったのですが、
中京のサードだったのが当時二年生だった大藤敏行選手だったのです。
大藤選手はこの試合、先制のレフト前タイムリーヒットを放っています。
直後、池田バッテリーにウエストされましたが、
スクイズを仕掛けた選手がいました。
レフトを守る磯村昌輝選手。
そう、磯村嘉孝捕手の叔父さんなのです。
不思議な縁ですよね。
この試合、九回に1点を取るものの、ゲーム。
次の試合が球史に残る試合になっているだなんて露知らず、
大藤選手はこの大会12打数5安打4打点の記録を残し、
ただただ悔しい思いで甲子園を後にしたことでしょう。
そして星稜・加藤一塁手が転倒した一塁側ファールゾーン辺りというのは
前の試合で敗れた中京の選手が甲子園の土を持ち帰る際に
人工芝の横の土をごっそり削り取っていたという話があります。
真偽の程はわかりませんが。
◇1979年8月16日 第61回全国高等学校野球選手権大会 三回戦
1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 計 | |
池田(徳島) | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 4 | 1 | 0 | 5 |
中京(愛知) | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 1 | 2 |
そしてこの箕島対星稜戦に出ていた三年生たちは私と同級生。
この決勝戦に出ている三年生たちは長男と同級生。
自分が高校三年生の時の選手権大会は特別なもの。
偶然とは言え、いずれの同級生たちもが
高校野球史上に残る名勝負を繰り広げてくれたことは
感慨深いものがあります。
◇1979年8月16日 第61回全国高等学校野球選手権大会 三回戦
■「神様が創った試合」
■箕島対星稜戦の球審だった永野元玄さんからゲーム直後にボールを
手渡されたことが審判の道に進むきっかけになった堅田審判(左)
ちなみに右側の方は兄弟ではありません(笑)
■永野球審から堅田投手へ贈られたボール(写真:甲子園歴史館)
河合は打球を追いかける時に日本文理のサードベースコーチの田辺和貴に
ちょっと接触していました。
接触と言ってもドンとぶつかったのではなく、
打球の方向へ向かおうとした河合の進路に対してちょうど田辺がおり、
若干邪魔になった程度のことです。
ルール上はベースコーチは守備を妨害してはいけないことになっています。
確かに田辺は邪魔にはなったのかもしれませんが、
少なくとも意図的に妨害したようには見えませんでした。
河合は試合後も「ボールを見失いました。ただそれだけです。」と
多くを語りませんでした。
私はその時思わず空を見上げました。
太陽が目に入ったのか?と思ったからです。
夏の終わりの15時過ぎ、空は真っ青でした。
確かに太陽はサードの守備位置から見上げると
目に入るかもしれない高さにあります。
このプレーの直後、河合は田辺に何か言っているようにも見えます。
でも試合直後のインタビューで彼は一言もベースコーチのことには
触れていません。
「風が吹いてて……風に流されて、見失ってしまったんです。
よくわからないんですけど。」
その後のインタビューでも決して
ベースコーチのことには触れませんでした。
河合のスポーツマンシップは素晴らしかったと思います。
ただこのプレーが守備妨害に当たるかは難しいところです。
明らかに妨害しているわけではないので、
審判も取りにくいプレーと言えるでしょう。
しかもこの流れの中で守備妨害を取るのは審判としても勇気がいるところです。
中京大中京サイドからすると、
守備妨害をアピールしたいのはやまやまだったかもしれません。
高校野球のルール上は、当該選手の河合か山中主将、
大藤監督からの伝令を受けた選手にアピール権があるので、
流れを変える意味でもベンチは確認のための伝令を出す選択肢も
あったかもしれません。
いや、ベンチもそこまでの余裕がなかったのかもしれません。
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●公認野球規則7・11 「守備側の権利優先」
攻撃側のプレーヤー、ベースコーチまたはその他のメンバーは
打球あるいは送球を処理しようとしている野手の守備を妨げないように
必要に応じて自己の占めている場所(ダッグアウト内またはブルペンを含む)を
譲らなければならない。
ランナーを除く攻撃側チームのメンバーが、
打球を処理しようとしている野手の守備を妨害した場合は、
ボールデッドとなって、バッターはアウトになり、
すべてのランナーは投球当時に占有していた塁に戻る。(以下略)
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守備を妨害したために捕球できなかったと審判が判断した場合は、
守備妨害となり、バッターがアウトになります。
妨害したかどうかはあくまでも審判の判断です。
また一部では河合が落球したと表現しているメディアがありますが、
彼は落球はしていません。
全くボールを触っていないのです。
■ボールが…
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*このファールフライ見失いについて、
日本文理のサードベースコーチだった田辺和貴氏に
事実を確認することができました。
河合選手と田辺選手は確かに接触はしたそうです。
しかし河合選手は最初から打球を追う方向がおかしくて、
打球が上がった瞬間、田辺選手は明らかにぶつからないと
思ったので動かなかったとのことです。
このプレーの直後、河合選手は堂林投手にむかって
「ドンマイ、ドンマイ」と言っていたそうです。
ぶつかったことについて田辺選手に
文句を言っていたわけではないそうです。
よって河合選手が目測を誤ったことが原因のようです。
(2012年12月2日追記)
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動揺した堂林は次の投球を吉田に当ててしまいます。
6対10、二死一三塁。
中京大中京ベンチはもう余裕がなくなってきています。
堂林も帽子を取る余裕さえないようです。
■132km/hのストレートが直撃
■朝妻、吉田、村山※
堂林に替えてファーストに回っていた二年生森本をマウンドへ戻します。
堂林で締めることができません。
「後ろにチーム一、頼れるバッターがいたので、
どんな形であれつなぐことができたんで良かったです。」
「もしかしたら、お母さんが力を貸してくれたのかもしれません。」(吉田)
そう、吉田のお母さんは前年1月に早世したのでした。
日本文理に進学するか迷っていた吉田の背中をそっと押してくれたのが
お母さんだったのでした。
「それにしてもね、日本文理のね、その精神力は大変なもんですね。
ボールを見極めるというねぇ、この素晴らしさ、
これはね、ただ単に技術だけじゃないんですね。」(渡辺監督)
■大藤監督、たまらずピッチャー交代
球場内で撮影された動画
球場内の様子です(Part 1)
球場内の様子です(Part 2)
組み合わせ抽選会でのこと。
日本文理の抽選は49代表のうちの46番目で
残っていたのは菊池雄星(埼玉西武)を擁する花巻東(岩手)の枠。
これは当たりそうだと思っていた時、花巻東はふたつ前で
長崎日大(長崎)との対戦が決まります。
中村主将が引いたのは春夏を通じて初出場の藤井学園寒川(香川)。
初戦では選手に固さがみられましたが、この試合をものにしてからは、
リラックスしてプレーしているように見えました。
準優勝までいけたのは、寒川戦でのキャッチャー若林の
ファインプレーがあったからだと言ってもいいかもしれません。
2対3の一点ビハインドで迎えた七回裏、二死二塁の場面、
一塁ベンチ前に上がったファールフライを若林はスライディングキャッチで
好捕します。
ミットの先からボールの頭が出るくらいのギリギリのプレーでした。
このプレーで勢い付いた日本文理打線は八回表に
高橋隼之介の同点ツーベース、
武石の決勝タイムリーで勝ち越します。
夏の大会で初めて勝った日本文理は持ち前の打線が爆発し勝ち進んでいきます。
三回戦、日本航空石川(石川)、準々決勝、立正大淞南(島根)と
初出場校との試合が続いたのも幸運だったかもしれません。
◇2009年8月15日 第91回全国高等学校野球選手権大会 二回戦
1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 計 | |
日本文理(新潟) | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 1 | 2 | 0 | 4 |
寒川(香川) | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 2 | 0 | 0 | 0 | 3 |
◇2009年8月19日 第91回全国高等学校野球選手権大会 三回戦
1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 計 | |
日本航空石川(石川) | 0 | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 3 | 5 |
日本文理(新潟) | 2 | 5 | 0 | 0 | 3 | 1 | 1 | 0 | x | 12 |
◇2009年8月21日 第91回全国高等学校野球選手権大会 準々決勝
1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 計 | |
立正大淞南(島根) | 0 | 0 | 0 | 2 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 3 |
日本文理(新潟) | 0 | 1 | 0 | 1 | 0 | 3 | 1 | 5 | x | 11 |
◇2009年8月23日 第91回全国高等学校野球選手権大会 準決勝
1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 計 | |
県岐阜商(岐阜) | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 1 |
日本文理(新潟) | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 1 | 0 | 0 | x | 2 |
■「全国制覇」
■この握りは?
日本文理打線は大会史上初の二試合連続毎回安打を記録しています。
三試合連続がかかった県岐阜商戦の一回裏が三者凡退で
記録は途切れましたが、この試合も二回から最終回まで毎回安打。
大会を通しても全42イニング中、安打がなかったのがわずかに4イニングだけ。
二回戦・寒川戦の三回と四回、準決勝・県岐阜商戦の一回、
決勝・中京大中京戦の五回です。
日本航空石川戦で20安打、立正大淞南戦で19安打。
あと一安打出ていればこれも史上初の二試合連続20安打の記録に
なるところでした。
5試合とも二桁安打を記録し、チーム打率.398は中京大中京の.388を抑えて
出場校中トップです。
九番中村に至っては、ベスト8以上での大会打率記録.727を
一時は上回る勢いでヒットを量産し続けていました。
どこからでも打てる打線です。
■ユニフォーム、帽子 (写真:甲子園歴史館)
●五番・高橋義人(6対10、二死一三塁)
打席の五番高橋義人はその好調日本文理打線にあって、
いやそれどころか大会出場選手中、最高打率.636を誇っている好打者。
今大会ではすでに2本のホームランを放っており、今日も3安打。
「2アウトになってから切手からずっと続いて自分まで回ってきて、
みんな後ろにつなげる意識でやってたと思うんで、
自分も次のバッターの伊藤に回そうと、つなげようとずっと考えていました。」
初球から振っていきます。
ボール球には手を出しません。
森本も懸命の投球を続けますが、粘る高橋義人。
「ホントに四点差がついてる2アウトとは思えない雰囲気ですね。」
(吉田監督)
そうなんです。
冷静に考えれば、四点差なんです。
慌てる必要なんて全くないんです。
でもあの場の雰囲気は吉田監督の言葉通り、異様なものでした。
球場全体が日本文理を応援しているような感じ。
球場が簡単には終わらせないぞ、とでも言っているかのような雰囲気。
そこに居た者たちだけが感じ取れるものだったかもしれません。
その中で高橋義人は涼しい瞳で森本を見つめます。
見つめられた森本はフルカウントにしてしまいます。
6球目は一塁線の強烈なファール。
「これなんです。これが日本文理打線なんです。
正にずっと練習を積んできた一球バッティングの成果、
最後の最後で発揮しています。」(小縣アナ)
7球目の際どい球も伸び上ってカットします。
「おおーっ」という何とも言えない声が甲子園を埋め尽くします。
渡辺監督が思わず唸ります。
「新潟のね県民のね、総意がひとりひとりに
乗り移っているような感じがしますね。」(渡辺監督)
(いいこと言うねぇ〜:管理者注)
このタイミングでネクストバッターズサークルの伊藤に
中村主将が何やら声を掛けに行きます。
「おおぅ」
伊藤がそんなふうに答えたように見えます。
遂に根負けしたのか、森本の投げた8球目は低くはずれて四球になり、
いよいよ二死満塁。
一発同点の場面が出来上がります。
■五番・高橋義人※
■正にこれがつなぐ野球
●六番・伊藤直輝(6対10、二死満塁)
打席には六番エースの伊藤。
この大会の直近三年間の決勝戦はエースが最後のバッターになっています。
・2006年 斎藤佑樹(早稲田実)対田中将大(駒大苫小牧)→三振
・2007年 久保貴大(佐賀北)対野村祐輔(広陵)→三振
・2008年 福島由登(大阪桐蔭)対戸狩聡希(常葉菊川)→投ゴロ
果たして伊藤が打ち取られて、四年連続となるのか?
それとも今年でジンクスは打ち止めとなるのか?
今日の伊藤はセンター二年生・岩月宥磨の超ファインプレーに阻まれましたが、
センターオーバーの大飛球を放っています。
■このプレーがなかったら日本文理がリードしていたかも…
■三塁走者・武石※
■二塁走者・吉田※
■一塁走者・高橋義人※
打席に入る前、サードベースコーチの田辺が伊藤に声を掛けます。
その声に笑みで返す伊藤。
いつの間にか球場全体が異様な感じになっています。
「イトウ!イトウ!」の大コールが湧き上がっています。
バックネット裏もいつしかみんな日本文理の応援をしています。
果たして高校野球で個人の名を呼ぶコールってあり得るでしょうか?
明徳義塾対横浜戦での投球練習をする松坂大輔への松坂コールはありましたが、
今回の伊藤コールはその比ではありません。
三塁側アルプスを除いた球場全体が伊藤の名を呼んでいます。
その声はだんだん大きくなっていきます。
「イトウ!イトウ!」
もう何がなんだかわかりません。
手を叩きながら一緒に叫びます。
「イトウ!イトウ!イトウ!イトウ!」
あんなに大きく鳴り響いていた一塁側アルプスからのチャンスマーチが
伊藤コールでかき消されてしまっています。
一体、これは何?
胸がいっぱいになります。
鳥肌が立ちまくります。
場内のビールの売り子たちももう仕事どころではありません。
商売そっちのけでグラウンドのプレーに見入っています。
球場全体が伊藤を応援しているような雰囲気の中、
森本はストライクが入りません。
カウントは0-2。
■六番・伊藤直輝※
■高校野球史上、最高のシーン
伊藤はこの打席は「もう打てるとしか思わなかった。」と言っています。
そして「球場に呼ばれている気がした」とも。
その言葉通り、伊藤コールが後押しする中、
3球目を打った打球は三遊間を真っ二つ。
打った瞬間、伊藤は手を叩きガッツポーズで一塁へ。
三塁から武石が生還、
サードベースコーチ田辺は二塁走者吉田へホーム突入の指示。
吉田は三塁を回ります。
守備固めでレフトに入っていた盛政仁至からはノーカットで
ツーバウンドの好返球が返ってきます。
しかしキャッチャー磯村は返球が返ってきていないかのように
キャッチングの体勢をわざと取りません。
三塁から生還した武石と、
ネクストバッターズサークルにいた石塚雅俊が滑り込むよう指示します。
アウトか?セーフか?
伊藤のバットを下げながら球審・日野さん、判定態勢を取ります。
ギリギリのプレーの判定は「セーフ」。
日野さん、ナイスプレーです。
朝日放送はすかさず銀傘テッペンのカメラからの映像をリプレイします。
その映像は磯村のタッチが追いタッチになっており、
吉田が一瞬早くベースタッチしていることを教えてくれています。
破ったぁ~、またつないだ。
一人ホームイン、そして二人目もホームイ~ン!
つないだ、つないだ、日本文理の夏はまだ終わらな~い!
10対8、六点差が二点差に変わりました。
何と表現していいのかわからない
日本文理の最後の最後の凄い粘りだぁ~っ!
ギリギリのプレーでした。よく還ってきました。(小縣アナ)
吉田はこの走塁についてこう語っています。
「レフトの守備位置が深くて三塁を回った時はまだ捕球前だったので
セーフになると思いました。
僕はサードコーチは見てなかったと思います。
でもスライディングした時にキリギリだったのでビックリしました。」
この打席、伊藤が振り返ります。
「ネクスト(バッターズ)サークルからバッターボックスに行くまで、
自分の背中の方で声が聞こえてて、
打席に入って、相手がボールになるにつれて歓声が大きくなっていて、
あの中で自分が打てて、それでまた吉田も還ってきてくれて、
まだ攻撃できるチャンスがあるっていうことで嬉しく思いました。」
「(伊藤コールのお陰で)あれほど緊張する場面だったのに、
全然緊張せずに打席に立てました。」
「あんな経験は、きっともうないんでしょうね。」
「自分の名前を呼んでくれて、泣きそうになりました。」
(呼んでる側だって泣きそうだったよ(T_T):管理者注)
「あんなこと、初めて。背筋が震えたね。」(大井監督)
■吉田、ナイススライディング!※
■球審・日野さん、ナイスジャッジ!※
■伊藤、雄叫び
■一塁走者・伊藤※
●七番・代打 石塚雅俊(8対10、二死一二塁)
8対10で、二死一三塁。
一塁走者の伊藤にファーストベースコーチの村山良太と
ベンチから防具を受け取りに来た朝妻翔が声を掛けます。
ここで日本文理ベンチは代打を送ります。
七番の打順はもともとは湯本の打順でその時は二年生・矢口正史の打席でした。
湯本が先発し、途中で守備固めの選手と交替するのが
日本文理のパターンでした。
この時、大井監督は二年生の平野汰一を代打で出すつもりでした。
しかしベンチでは主将の中村ら三年生が三年生の石塚を出してほしいと
大井監督に訴えていました。
石塚本人も「絶対に打ちます!」
でも大井監督はダメだと突き放します。
「だって石塚は打ってねぇだろう?!」
確かに石塚は前の試合で代打で三振しています。
新潟大会でも一度も試合に出ていないのです。
それでも中村らは引き下がりません。
「今度は絶対打ちます。ですから石塚でいきましょう!」
三年生たちの勢いに大井監督も遂に押し切られてしまいます。
代打石塚が告げられます。
控えのキャッチャーの石塚は大井監督の教えを思い出していました。
「代打への初球は変化球で入れ」
その教えの通り森本の初球はカーブ。
それを待っていた石塚は見事にレフトへはじき返してしまいます。
さっきは好返球をしたレフト盛政が今度は弾いてしまいます。
二塁走者高橋義人が9点目のホームイン。
一塁走者伊藤は三塁へスライディングし、ガッツポーズ。
これもヒットになる。二塁ランナーは三塁キャンバスを回った、回った、
還ってきたぁ~、一点差ぁ~~~!!!(声がひっくり返る)
日本文理、いよいよ一点差。
代打石塚、タイムリーヒット。
とんでもないことが起こっている甲子園球場
九回表五点取って一点差 10対9!(小縣アナ)
実はこの石塚、カーブが全く打てないのです。
練習試合でも全く打てない。
大井監督が振り返ります。
「カーブが全く打てない石塚があの場面でカーブを打ってしまう。
これが甲子園なんだなぁ。」
石塚は言います。
「自分は代打でずっと結果残してなくて、
でも初球から振るってことはずっと続けてきてたんで
それを打席に立った時に、
初球から思いっ切り振っていこうというふうに思ってたんで
それが最後の打席にできて良かったと思います。」
「ネクスト(バッターズサークル)にいる時は心臓がバクバクでした。」
「人生で一番いい当たりでした。」
■心臓バクバクしてます(^_^;)※
■七番・代打石塚※
■カーブが全く打てないはずなのに…
石塚が打った瞬間、私は思わず「やったー!」と叫んで立ち上がります。
石塚がやったのと同じ思いっ切りのガッツポーズ。
しかし立ち上がった瞬間、スコアブックと赤鉛筆と携帯も
一緒に立ち上がってしまいます(笑)
私は嬉しさを爆発させつつも、
周りの人に「すみません、すみません。」と謝りながら
落ちたスコアブック、赤鉛筆、携帯を拾う羽目になります。
携帯からは電池パックがはずれ、バラバラ。
赤鉛筆はコロコロスタンド席から下へ転がっていきます。
もう何がなんだかわからない状態です。
興奮しまくってます!
■あと一点!
■全身で嬉しそう※
■鈴木コーチ※
●八番・若林尚希(9対10、二死一三塁)
9対10、二死一三塁で打席には八番若林。
この回、打者一巡です。
一塁走者には矢口の代打で出る予定だった平野が代走で送られます。
サードベースコーチの田辺が若林に声を掛けに来ます。
この日、若林は堂林から3三振。
しかし森本からはレフト前ヒットを打っています。
打席に入った尚希は三塁走者の直輝にチラッと目をやります。
■世紀の大逆転なるか?
森本が投じた初球、ストレートが低目に外れます。
この時、私は「あれっ?」と思いました。
一点差の二死一三塁ですから、
一塁走者が走ると思っていたのに走らなかったからです。
後日、新潟のテレビの特番でこのシーンについて触れる場面がありました。
実はこの時大井監督からは盗塁のサインが出ていました。
でも平野は走りませんでした。
彼は番組の中でははっきりとその理由を語りませんでしたが、
私は走れなかったのだと思っています。
この場面での盗塁はやはり相当の緊張を伴います。
高校野球で監督のサインを無視することは考えられません。
やはり足が動かなかったとみるべきでしょう。
ちなみに松井秀喜選手への5打席連続敬遠で有名な
第74回全国高等学校野球選手権大会二回戦、
明徳義塾(高知)対星稜(石川)戦、
明徳義塾一点リードで迎えた九回裏、二死一三塁の場面、
つまりこの試合と同じ場面で一塁走者だった松井は二塁へ盗塁しています。
私はこのプレーが、もしかしたら次のプレーの結果を
左右したかもしれないと思うのです。
もし平野が盗塁を企てていたら、
投球はワンバウンドしそうな低目のボールだったので磯村はまず投げれません。
平野は足の速い選手ですので二盗は成功したことでしょう。
すると二死二三塁になりシングルヒットでも一打逆転の場面になります。
若林は引っ張り専門なのでレフト方向の打球が多く、
守備側は二塁走者のホームインは絶対に防がないといけません。
レフト前ヒットでの同点は仕方がないので、
レフト線へのツーベース性の当たりは阻止したいところです。
そうするとサードはどうしてもライン際に守備位置を変えざるを得ません。
実際、この回の先頭打者だった時の若林は三塁線へ強烈な
ファールを打っています。
そして先頭打者だった時の河合の守備位置は若干、ライン際に寄って
いたのでした。
そしてもうひとつ。
二死一二塁で石塚がレフト前ヒットを打った場面。
一塁走者の伊藤は躊躇することなく、二塁を蹴って三塁へ向かいます。
レフト盛政が弾いたので、セーフになりましたが、
普通に捕っていたとしたら、暴走と言われても仕方がないタイミング。
打球が強烈だったのでここは無理する場面ではありません。
盛政が弾いたことを見て、伊藤は三塁に向かった可能性は充分、考えられます。
しかしセオリーからするとここは二死一二塁でいい場面。
そうなったら、サード河合はレフト線の当たりでの二塁走者の生還を防ぐために
三塁線を詰めて守っていたかもしれません。
中京大中京とすれば、盛政が打球を弾いたことが、
逆に勝利につながったとも言えるかもしれません。
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*この走塁について、
一塁走者だった伊藤直輝氏に確認することができました。
伊藤選手はレフトが弾いたのを見て三塁に行ったそうです。
もし弾かなかったらオーバーランをして帰塁していたということです。
よってレフトが弾かなかったら、二死一二塁だったことになります。
(2013年1月26日追記)
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しかし実際は盗塁しなかったので、伊藤は三塁へ進塁したので一三塁。
河合は三塁にランナーがいますが三塁ベースからは離れて守備位置をとります。
今度は若林コールが起きています。
三塁側アルプスのチアリーダーからは「頑張れ~」の声、声、声…
「あつまぁ~!」
ライトに回った堂林がセンターの金山篤未に向かって叫びますが
まったく届きません。
焦る中京大中京ナイン。
「早くアウトになれ」とサード河合。
「やばいなぁ」とキャッチャー磯村。
幼なじみの直輝が三塁塁上から見つめます。
「打て!尚希!」
追い詰められた森本が若林への2球目を投げる直前、
サード河合は三塁線側へ一歩足を踏み出します。
バットをふた握り短く持った若林は2球目の136kmのストレートを
思いっ切り叩きます。
カキーン!
いったぁ~!
快音を残した打球はその行方を追う間もなく、
サード河合のグラブに吸い込まれていきます。
サードライナーでゲーム。
打席近くで思わず倒れこむ若林。
放送席の渡辺監督、吉田監督は「うぅぅ~っ」と声にならない声。
かつて最後の打者が打った後、その場で倒れ込んで終わった試合が
あったでしょうか?
若林の何とも言えない表情が印象的でした。
スポーツに「たら、れば」は禁句ですが、
もし二三塁または一二塁だったら、サード河合が三塁線寄りに一歩でも
守備位置を変えていたとしたら、
あの当たりだとヒットになった可能性が高いと思われます。
そうしたら同点、2アウトですから逆転もあったかもしれません。
もしくは河合が打球を弾いて打球がファールグラウンドに点々とし、その間に…
もし若林の当たりが抜けて二塁打になり一塁走者が三塁へ進塁した場合、
同点で二死二三塁の場面になります。
次の打者は九番の好調の中村。
一塁が空いているので中京大中京バッテリーは中村を歩かせて、
この日ノーヒットの一番切手と勝負に出たかもしれません。
同点の二死満塁で森本対切手の勝負。
どうなっていたでしょうか?
想像を始めるとキリがないです。
15時31分、球史に残る猛反撃はこうして突然、幕を降ろしたのでした。
■八番・若林尚希※
■カキーン!
■あと一歩、ライン際に寄っていたとしたら…
■快音を残したが…
「自分から始まった回で、自分が倒れてそれからみんながつないでくれて、
自分に回ってきた時はちょっと緊張したんですけど、
その時に中村が声を掛けてくれて、自分の中でも気持ちが楽になって、
甘い球を思いっ切り振ったですけど、
結果的にサードライナーになったですけど、
悔いのない自分らしいバッティングが
できたかなっていうのはあります。」
「打った瞬間は手応えもあったし『いった!』と思いました。」
「もちろん全力を尽くしたので後悔は全くありません。
でも試合後は悔しかったです。」(若林)
「正直、やられるんじゃないかって思いました。
あそこでライナーが抜けていたら、あれで負けていたら、
僕は一生野球ができない。
最後は、神様がもう一度、チャンスをくれたんだなって思いました。」
「顔の真横だから反応できましたけれど、
正面だったら弾いていたかもしれません。
今でも、あの時のライナーのことを考えるとぞっとしますね。」
「ゴロだったら捕球して、送球してというハードルがありますが、
最後がライナーだったのも何かの巡り合わせ。」
「ホッとしました。勝ててよかったです。」
「センバツを思い出しました。
まさかまた負けるんじゃないかと思いました。」(河合)
「打球が速く、アッと思いました。」(森本)
「打球が見えず、完治がボールを捕った格好をしたので、
捕ったんだと思いました。」(堂林)
「最後の打球を見ていなかったので、
優勝の瞬間は何が起きたのか分かりませんでした。
マネージャーに訊いて、アウトになったことがわかりました。」(大藤監督)
■若林に声を掛けるサードベースコーチ田辺
直後、直輝も尚希に声を掛けます。「ナイスバッティング!」※
■優勝決定! (写真:甲子園歴史館)
でも私は9対10で終わって良かったと思っています。
もし日本文理が勝っていたら、負けた責任はどうしても河合ということに
なってしまいます。
自分のせいで負けたという重荷を一生背負っていくのは酷な話です。
彼は野球選手として将来があります。
星稜・加藤選手のような思いはもう誰にもして欲しくありません。
そういう意味でもこのまま終わって良かったと思うのです。
最後の打球がファールフライを見失った河合のグラブに収まったことで、
彼はまたこれからも野球を続けていけるのです。
野球の神様はいるのですよ。
もし同点あるいは逆転した場合、
九回裏の中京大中京の攻撃は二番國友賢司からの打順。
河合、堂林、磯村のクリーンアップをここまで147球を、
この大会656球を投げている伊藤が果たして無得点で抑えることができたか?
その答えは誰にもわかりません。
日本文理は七番の打順で内野手の平野を代走に出しましたが、
もともとはセンターを守る選手の打順。
残っていたのは控え投手の奥浜真隆と高橋洸、控え捕手の笹川だけでした。
そうすると九回裏は誰がセンターの守備についたのでしょうね?
もし中京大中京がサヨナラ勝ちしてもこんな感動は残らなかったと思います。
延長になって日本文理が勝ったとしてもです。
もし河合がファールフライを捕っていたら6対10。
8対10のスコアでも微妙です。
やっぱり9対10、これしかありません。
もうひとつ、もし日本文理が後攻だったらどうなっていたでしょうか?
その場合は六点差を逆転してでのサヨナラ勝ちで優勝が決まるという
新潟出身の水島新司の漫画にさえ出てこないような逆転劇に。
もしかしたら中京大中京が後攻だったことが最後の最後での
大逆転劇にまで至らなかったひとつの要因だったのかもしれません。
そうなると山中主将がじゃんけんに勝ったことが勝因っていうことにも(笑)
ちなみに山中主将はチョキを、中村主将はパーを出して中京大中京が後攻を
選択したそうです。
準決勝の花巻東戦で山中主将が最初、チョキを出してアイコになったことを
伝え聞いていた中村主将。
ところがなぜか中村主将はパーを。
もしいつも通り、グーを出していたなら…
この大会、中京大中京はずっと後攻で勝ってきており、日本文理が後攻を取れば
リズムが崩れるのではと考えていたのに。
■バックネット裏正面から
歴史的決勝戦のゲームの瞬間をこの場所から観れたこと、ただただ感謝です
■ウイニングボールは中京大中京に渡りました※
■互いの健闘を称え合います※
ゲーム直後、中京大中京・山中主将はショートの守備位置から
誰とも喜びをわかち合うことなく、
真っ先にホームプレート前に整列に走ります。
いつものマウンド付近で一本指を掲げるシーンはそこにはありません。
今大会二回戦の関西学院戦でのこと。
九回表に同点に追いつかれ、嫌なムードだった中京大中京。
その裏、河合のサヨナラホームランが出て、ホームベース近辺で
河合に抱き付く中京大中京の選手たち。
それを制止し、早く整列するように促していたのが山中主将でした。
試合終了のサイレンが鳴り響く中、
両チームの選手たちが互いの健闘を称え合います。
泣きじゃくる河合のところへ切手が真っ先に声を掛けに行きます。
続いて高橋隼之介が、若林が、中村が、伊藤が…
♩「ここ八事山 東海の」♫
バックネット裏正面最前列、向かって左から三番目の席の我が師匠ラガーさんも
校歌に合わせて手を叩いて優勝を祝福します。
■校歌を歌う中京大中京の選手たち※
この夏、日本文理は初めてベンチ前で相手校の校歌を聞きます。
伊藤がベンチ前に整列した選手に声を掛けます。
「帽子、取れ」
■ベンチ前の日本文理の選手たち※
中京大中京の校歌の一番の最後のそして二番の最初のフレーズ
「見よ躍進の先輩の業績」って何と読ませるかわかりますか?
「見よ躍進のとものあと」と読ませるんです。
中京商、中京、中京大中京と校名の変遷はありますが、
その長い歴史を垣間見ることができる歌詞だと思います。
作詞の佐々木信綱は唱歌「夏は来ぬ」の作詞でも有名な国文学者、歌人です。
作曲の弘田龍太郎の唱歌「浜千鳥」「雀の学校」「春よ来い」「鯉のぼり」は
誰もが一度は口ずさんだことがあると思います。
■中京商時代は「ここ八事山」が「ここ川名台」、
「凛乎(りんこ)とかざす」が「牙籌(がちゅう)にかざす」でした。
甲子園で最も多く流れた校歌です♫
中京大学附属中京高等学校校歌<
中京大中京グラウンドの一塁側には「留魂」と彫られた記念塔があります。
みんなが苦難に耐えた
みんなが死線を越えた
みんなが栄光を握った
みんなが伝統を守った
そして今も
みんなが見守っている
応援している
願っている---
題字は吉田正男、碑文は三連覇時のショート杉浦清、
文字は1938年春優勝メンバーの瀧正男。
彫ってある絵はプレーする選手よりグラウンド整備する選手が
手前になっています。
「みんなで」という伝統がここにも息づいています。
校歌を歌い終わって一礼してアルプススタンドへ挨拶に向かう
中京大中京の選手たち。
しかし彼らの誰ひとりとして我れ先へとスタンド方向へ走り出した者は
いませんでした。
優勝したのだから一刻も早く応援席の方へ駈け出したいと思うのが人情です。
でも最後まできちんと礼をし、みんなが顔を上げてから全員が走り出しました。
名門校の教育が行き届いている姿を見せてもらいました。
これも感動的なシーンでした。
■バックネット裏スコアボード
大観衆からの拍手はいつまでも鳴りやみません。
バックネット裏のお客さんはみんな立ち上がって拍手を送り続けています。
「ナイスゲーム!」そんな声も飛んでいます。
「九回は声にならない声援。頑張れ、頑張れの大合唱でした。
中京商業、中京高校時代のユニフォーム姿のOB達は泣きながら笑っています。
三塁側でした。」
「一塁側です。拍手が続いています。
初めての長い夏。アルプスの表情は晴れやかです。
泣いている人は見えません。
『いい夏だった』と声が飛び交っています。
ここまでやれる、スタンドは自信に満ち溢れています。一塁側でした。」
(NHK、ゲーム直後のアルプススタンドからのレポート)
■一塁側アルプススタンド※
勝った中京大中京の選手が泣いて、負けた日本文理の選手が
笑顔だったのが印象的でした。
小学生の時からバッテリーを組んできた若林の打球が
目の前に飛んできてゲーム。
伊藤は不思議な感覚を感じたと言います。
「若林が最後の打者で終われてよかったです 。」
「盗塁はスタートが切れたら行け、その時、打者はウエイトではなく、
打てるボールは打ち、スタートがよかったら待つ」
日本文理ではこんな取り決めをしていたようです。
ですから一塁走者への盗塁のサインが出ていた場面ではありましたが、
若林はストライクを好球必打したわけです。
>
■日本文理ユニフォーム(伊藤直輝氏寄贈) (写真:甲子園歴史館)
小学生の時は最初は若林がピッチャーで、伊藤がキャッチャーだったそうです。
関川中学校(2005年、関谷中学校と女川中学校が閉校し
関谷中学校の地に開校)へ進学した二人は、軟式野球部へ入部。
三年生の時には新潟県大会で準優勝して、北信越大会に出場しています。
この時優勝したのが、吉田中学校。
(私の長男も北信越大会に出場しており、
この吉田中学校に準々決勝で延長戦でサヨナラ負け。
今でもセンター前に抜けていく打球が目に焼き付いて離れません。)
吉田中学校はこの後、第23回全日本少年軟式野球大会、
第28回全国中学校軟式野球大会のふたつの全国大会で連続第3位という
新潟県中学野球、始まって以来の快挙を達成しています。
そして吉田中学校の主力メンバーの多くは新潟商へ進学したのでした。
関川中学校は北信越大会では初戦敗退だったこともあり、
私の関心は専ら新潟商で、日本文理は眼中にありませんでした。
この時の新潟商は新潟県央工に準々決勝で延長13回の激闘の末、敗れ、
新潟県央工は準決勝で日本文理に敗れています。
■吉田中 全国大会連続出場記念プレート
【リンク】
新潟大会
■新潟大会優勝決定の瞬間※
■感極まる伊藤※
■最高の仲間と※
■このバスで数々の遠征へ
■応援団の太鼓
■練習中
日本文理と新潟商は前年の秋季大会で対戦し、
伊藤、武石のホームランが出て日本文理が勝っています。
◇2008年9月20日 第119回秋季北信越高校野球新潟大会 準決勝
1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 計 | |
新潟商 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 1 | 0 | 0 | 0 | 2 |
日本文理 | 3 | 0 | 1 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | x | 5 |
秋季大会での新潟商は、決勝で日本文理に大逆転された
富山商に惜敗し、センバツへの夢が絶たれたのでした。
◇2008年10月18日 第119回秋季北信越地区高校野球大会 準決勝
1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 計 | |
富山商(富山) | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 2 | 0 | 0 | 2 |
新潟商(新潟) | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 1 |
■関川中グランドのホームベースから校舎を臨む
■中学時代の主将・伊藤投手と若林捕手
(第27回北信越中学校総合競技大会 軟式野球プログラムより)
■第27回北信越中学校総合競技大会<軟式野球競技>
試合後のインタビューで堂林が
「もう最後ホント苦しくて…(絶句)
最後まで投げたかったんですけど、ホント、情けなくてホントすみませんでした。」
と泣きながら謝る姿は、今までの決勝戦ではあり得なかったことです。
私は彼に名門校の意地とプライドをみたような気がしました。
インタビュアーの方が
「堂林君、謝る必要はないですよ。
凄いピッチングと凄いバッティング、日本一ですよ。」
と声を掛けるのが何とも良かったです。
球場で優勝インタビューを受ける山中主将とエース堂林、
毎年優勝インタビューを見てて思うのですが、
このお立ち台に登れる二人は、
全国の高校球児の中で最高に幸せな二人だと思うのです。
もし日本文理が勝っていたら、
中村と伊藤はどんな言葉を口にしたのでしょうね…
【リンク】
優勝インタビュー
■史上初、涙の優勝インタビュー
大会歌「栄冠は君に輝く」をバックに場内を一周する両チームの選手たち。
その姿を見て大藤監督は思わず、目頭を押さえます。
前回の優勝から43年。
「大藤では勝てない」
そう言われた時期もあったと聞きます。
名門校の監督としてOB、学校関係者からの多くのプレッシャーを背負い、
今回の優勝でさぞかしホッとしたことでしょう。
■「栄冠は君に輝く」歌碑
両チームはスコアボードをバックに記念撮影。
堂林は切手にこう言ったそうです。
「普通は振るよなー(空気を読め!)」(笑)
河合は記念撮影中もずっと泣いてたそうです。
日本文理にも帽子で顔を覆い、涙を隠していた選手がいました。
最後の打者になった若林です。
大井監督は1959年の第41回全国高等学校野球選手権大会で
宇都宮工(栃木)の四番エースとして活躍しました。
二回戦から登場した宇都宮工は九回に1点差に迫られる接戦を勝ち上がり、
準々決勝では九回サヨナラ勝ち、
準決勝では延長十回サヨナラ勝ちとミラクル連続。
決勝戦は延長15回の大接戦でした。
孤軍奮闘だった大井投手は延長15回表に6点を取られ、
西条(愛媛)に8対2で敗れ、準優勝しています。
ですから大井監督にとってはちょうど50年振りの準優勝になるのです。
一方、同大会に出場した中京商は同年のセンバツで優勝しており、
春夏連覇を期待されましたが、一回戦で高鍋(宮崎)に4対0で敗戦。
その時の二塁手は後に同校を春夏連覇に導く杉浦藤文でした
大藤監督はこの恩師・杉浦から半ば強制的に次期監督をさせられたのでした。
そして大井監督と杉浦監督は早稲田大学硬式野球部の同期なのです。
大藤監督は閉会式後の記念撮影の時に大井監督から
「これで藤文にいい報告ができるな。」
と声を掛けられたそうです。
これも不思議な縁ですよね。
◇1959年8月14日 第41回全国高等学校野球選手権大会 二回戦
1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 計 | |
広陵(広島) | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 1 |
宇都宮工(栃木) | 0 | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | x | 2 |
◇1959年8月16日 第41回全国高等学校野球選手権大会 準々決勝
1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 計 | |
高知商(高知) | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 1 |
宇都宮工(栃木) | 0 | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | x | 2 |
◇1959年8月17日 第41回全国高等学校野球選手権大会 準決勝
1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 計 | |
東北(宮城) | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 |
宇都宮工(栃木) | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1x | 1x |
◇1959年8月18日 第41回全国高等学校野球選手権大会 決勝
1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 11 | 12 | 13 | 14 | 15 | 計 | |
西条(愛媛) | 0 | 0 | 1 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 6 | 8 |
宇都宮工(栃木) | 0 | 0 | 0 | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | x | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 2 |
■「だってここまできたら泣かないと約束したからね。
伊藤のヤローがちょっとうるっときてたから、
『泣くなよ』と言ってやった。
いや、それにしてもたまげたよね。」
■胴上げされる大藤監督※
当日はNHKのテレビとラジオ、
そしてABC朝日放送のテレビ中継がされていました。
この試合、陰の主役が朝日放送の実況だったと思っています。
横浜・渡辺元智監督と清峰・吉田洸二監督のダブル解説、
実況・小縣裕介アナのこの放送は素晴らしかったです。
同年のセンバツ一回戦で日本文理に勝ってそのまま優勝した
清峰・吉田監督には彼等の成長ぶりはどのように映ったでしょうか?
一方、NHKテレビ放送は国営放送だけあって抑えた感じの放送。
サードファールフライの場面に至っては「あっ!」と言った切り、
しばらく沈黙。
愛知県出身の広坂安伸アナ、さすがに声が出ません。
それに比べNHKのラジオ放送は、
この感動をいかに限りある言葉で伝えようかという田中崇裕アナと
解説の長野哲也さんの気持ちが伝わってくる放送でした。
田中アナも愛知県出身ですが
試合後の「素晴らしいゲームでした。」の言葉は
心の底から出た言葉で本当に実感がこもっていました。
そうは言ってもこのゲーム展開ですから、
NHKテレビも次第に盛り上がってきます。
広坂アナも解説の後藤寿彦さんも興奮を隠し切れません。
広坂アナの閉会式で準優勝メダルを受ける矢口への言葉は良かったです。
「三塁コーチ、九回、もう一回手を回したかった矢口」
<でも九回のサードベースコーチは田辺だったんだけどな(笑)>
■陰の主役の三人
それではここで3つの放送を聞き較べてみましょう。
【リンク】
実況中継
文字だけではなかなか熱さ具合を伝え切れませんが、
さぁ、どの放送が一番あの興奮を伝えているでしょうか?
この決勝戦から二年後の第93回全国高校野球選手権大会三回戦で
横浜(神奈川)は三点リードの九回二死一三塁から智辯学園(奈良)に
一挙八点を取られて敗れます。
私はバックネット裏でこの試合も観ていました。
この決勝戦の解説をしていた百戦錬磨の渡辺監督でさえ、
甲子園の魔物には勝てないのです。
そしてこの試合は奈良県勢が神奈川県勢相手に
12戦目で初めて勝った試合だったのでした。
◇2011年8月15日 第93回全国高等学校野球選手権大会 三回戦
1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 計 | |
智辯学園(奈良) | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 8 | 9 |
横浜(神奈川) | 1 | 1 | 1 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 4 |
そして大藤監督も然り。
第60回全国高等学校野球選手権大会準決勝でのこと。
中京高校はPL学園(大阪)を四点リードして九回を迎えます。
アルプス席で応援していた大藤選手たち一年生たちは宿舎へ一足早く戻って、
洗濯するようにと指示されます。
慣れない洗濯板を使って大量の洗濯物と格闘している頃、
チームは九回裏に四点を追い付かれ、
延長12回に押し出し四球でサヨナラ負けしてしまいます。
宿舎の人からその報を聞いて、信じられない思いだったという大藤選手。
PL学園は翌日の高知商(高知)との決勝で九回表まで
2対0でリードされるも、九回裏に逆転サヨナラで優勝し、
それ以降「逆転のPL」と呼ばれるのです。
そして前述の磯村嘉孝捕手の叔父さん、昌輝選手は
この試合にも出場しているのです。
◇1978年8月19日 第60回全国高等学校野球選手権大会 準決勝(後述)
1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 11 | 12 | 計 | |
中京(愛知) | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 1 | 0 | 1 | 1 | 0 | 0 | 0 | 4 |
PL学園(大阪) | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 4 | 0 | 0 | 1x | 5x |
◇1978年8月20日 第60回全国高等学校野球選手権大会 決勝
1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 計 | |
高知商(高知) | 0 | 0 | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 2 |
PL学園(大阪) | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 3x | 3x |
実はこのPL学園対高知商の決勝戦が、それまでの春夏を通しての決勝戦で
リードされていたチームが最終回に最も多くの点を取った試合だったのでした。
この試合では二点ビハインドから三点取って、逆転サヨナラ勝ちしています。
また延長戦になった試合の九回に三点差を追い付いたのが以下の試合です。
追い付かれたのは中京大中京の前身の中京商です。
◇1932年8月21日 第18回全国中等学校優勝野球大会 決勝
1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 11 | 計 | |
松山商(四国・愛媛) | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 3 | 0 | 0 | 3 |
中京商(東海・愛知) | 1 | 1 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1x | 4x |
他には二点ビハインドから同点に追い付いた試合が一試合、
三点ビハインドから二点取ったケースが二試合あります。
と言うか、わずか計三試合しかありません。
◇1949年4月6日 第21回選抜高等学校野球大会 決勝
1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 11 | 12 | 計 | |
北野(大阪) | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 1 | 0 | 2 | 0 | 2 | 6 |
芦屋(兵庫) | 1 | 1 | 1 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 2 | 2 | 0 | 0 | 4 |
◇2001年4月4日 第73回選抜高等学校野球大会 決勝
1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 計 | |
常総学院(茨城) | 1 | 0 | 3 | 0 | 2 | 0 | 0 | 0 | 1 | 7 |
仙台育英(宮城) | 1 | 0 | 0 | 1 | 0 | 1 | 1 | 0 | 2 | 6 |
◇2006年8月21日 第88回全国高等学校野球選手権大会 決勝 再試合
1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 計 | |
駒大苫小牧(南北海道) | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 2 | 3 |
早稲田実(西東京) | 1 | 1 | 0 | 0 | 0 | 1 | 1 | 0 | x | 4 |
100年の歴史がある春夏甲子園の決勝戦において、
リードされているチームが最終回に最大で三点しか取ってないというこの事実。
三点取った試合が二試合、
二点取った試合でさえ、わずか三試合。
決勝戦の最終回にリードされているチームが得点すること自体が
いかに困難なことなのかがわかると思います。
それを日本文理は五点取ってしまったのです。
しかも二死走者なしの2ストライクから。
この試合が高校野球の歴史において如何に特異な試合だったのかが
わかると思います。
夏の甲子園決勝という高校野球で最も注目が集まる試合で
実際それは起こったのです。
もし日本文理が逆転していたとしたら、
春夏を通じて4972試合目で初めて最終回に六点差を逆転した試合になる
ところだったのでした。
中京大中京は最大七点差から一点差まで詰め寄られたわけですが、
それ以前には七点差から一点差まで詰め寄った試合があります。
◇2000年8月15日 第82回全国高等学校野球選手権大会 二回戦
1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 計 | |
智辯和歌山(和歌山) | 2 | 0 | 0 | 0 | 2 | 2 | 1 | 0 | 0 | 7 |
中京大中京(愛知) | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 6 | 0 | 0 | 6 |
■日本文理、甲子園出場記念
ちなみに2009年夏の大会までの春夏全4971試合において、
延長戦を含めた最終回攻撃開始時点でリードされていたチームが
逆転して勝つゲーム展開になる確率はわずか3.1%です。
春…59試合/2009試合(2.9%)
夏…94試合/2962試合(3.2%)
計…153試合/4971試合(3.1%)
また延長戦を含めた最終回に得点が入る確率は29.1%です。
春…1104イニング/4018イニング(27.5%)
夏…1788イニング/5924イニング(30.2%)
計…2892イニング/9942イニング(29.1%)
決勝戦(含む再試合)に限定すると…
春…49イニング/162イニング(30.2%)
夏…57イニング/182イニング(31.3%)
計…106イニング/344イニング(30.8%)
更に決勝戦最終回開始時点でリードされているチームが得点する確率となると
14.0%に下がります。
春…12試合/81試合(14.8%)
夏…12試合/91試合(13.2%)
計…24試合/172試合(14.0%)
最終回に得点すること自体はそうハードルが高いようには思えません。
むしろ決勝戦の最終回の場合の方が、得点が入る確率は若干高いくらいです。
しかしリードされているチームが得点するとなると、
倍以上ハードルが高くなります。
【リンク】
終盤での大逆転ゲーム
【参考】
スコア上位10傑
●春夏通算
№ | スコア | 試合数 | 割合 |
1 | 1対0 | 307 | 6.18% |
2 | 2対1 | 301 | 6.06% |
3 | 3対2 | 294 | 5.91% |
4 | 4対3 | 246 | 4.95% |
5 | 2対0 | 219 | 4.41% |
6 | 3対1 | 213 | 4.28% |
7 | 3対0 | 202 | 4.06% |
8 | 4対0 | 179 | 3.60% |
9 | 4対1 | 170 | 3.42% |
10 | 4対2 | 166 | 3.34% |
60 | 10対9 | 10 | 0.20& |
●春
№ | スコア | 試合数 | 割合 |
1 | 1対0 | 138 | 6.87% |
2 | 3対2 | 130 | 6.47% |
3 | 2対1 | 128 | 6.37% |
4 | 2対0 | 104 | 5.18% |
5 | 4対3 | 96 | 4.78% |
6 | 3対0 | 90 | 4.48% |
7 | 3対1 | 89 | 4.43% |
8 | 4対0 | 82 | 4.08% |
9 | 4対1 | 77 | 3.83% |
10 | 4対2 | 67 | 3.33% |
72 | 10対9 | 2 | 0.10% |
●夏
№ | スコア | 試合数 | 割合 |
1 | 2対1 | 173 | 5.84% |
2 | 1対0 | 169 | 5.71% |
3 | 3対2 | 164 | 5.54% |
4 | 4対3 | 150 | 5.06% |
5 | 3対1 | 124 | 4.19% |
6 | 2対0 | 115 | 3.88% |
7 | 3対0 | 112 | 3.78% |
8 | 4対2 | 99 | 3.34% |
9 | 4対0 | 97 | 3.27% |
9 | 5対4 | 97 | 3.27% |
54 | 10対9 | 8 | 0.27% |
■まさかのスコア
朝日放送では試合後のコメントでも
「(中京大中京は)勝った心地がしなかったかもしれません。」
「とてつもない粘りに合いました。」
「(日本文理は)最後の最後まで自分たちの野球を貫き通しました。」
「九回2アウトから五点取っての、もうこれは甲子園、大会史上に残る
歴史的な決勝戦と言っても過言ではないでしょう!
甲子園の大観衆から大歓声が湧き起こっています。」
思わずうんうんと頷いてしまう言葉ばかりでした。
実は実況の小縣アナの本職はサッカー中継なんです。
彼はサッカーの審判の資格保有者で、
朝日放送ではサッカー中継やらせたら、
彼の右に出る者はいないと言われているのです。
そんな彼の実況は高校野球でもピカイチでした。
私は通勤の車の中で朝日放送、NHKラジオ、NHKテレビの
九回表の実況中継をiPadで流しています。
リピート率は朝日放送がダントツです。
あれから随分と時が過ぎていますが、
それでもまったく飽きる気配がありません(笑)
九回表の朝日放送の実況はアナウンサー、二人の解説者と
同時に喋ることができます(汗)
当然 、中京大中京の校歌、歌えます(笑)
■トーナメント表
翌年以降も毎年、甲子園へ足を運んでいますが、
私の中の時計はあの試合から止まってしまっているかのようです。
この試合を見れたこと、高校野球ファンにとって、
これ以上の宝物はありません。
甲子園では今まで数多くの名勝負がありました。
横浜対PL学園、早稲田実対駒大苫小牧、箕島対星稜、松山商対三沢、
熊本工対松山商、済美対駒大苫小牧、報徳学園対倉敷工、広陵対佐賀北、
花咲徳栄対東洋大姫路、智辯和歌山対帝京、徳島商対魚津…
どの試合も甲乙つけ難い名勝負ばかりです。
「一試合だけ生で観戦できるとしたらどの試合を見たいか?」の
問いかけがあったら、迷うことなくこの試合を挙げます。
(実際見ちゃってますが…)
そしてこの試合は「場面」の持つ力というものを強く感じさせてくれます。
この試合は最終的に逆転したわけではありません。
劇的なサヨナラゲームでもありません。
単なる1イニングの攻防に過ぎないのにこれだけ多くの人の心に
刻み込まれているのは
夏の甲子園決勝戦の最終回二死走者なしで起きた、という「場面」の持つ力に
よるものだと言っていいのではないかと思います。
「場面」を持つ力を感じるプレーがもうひとつあります。
第78回全国高等学校野球選手権大会 決勝、
熊本工対松山商、同点、十回裏、一死満塁の場面での
松山商の矢野勝嗣右翼手の「奇跡のバックホーム」です。
このプレーがいつまでも人々の記憶に残っているのは
三塁走者がホームインした時点でサヨナラで優勝が決まるという場面で出た
スーパープレーだったからに他なりません。
「野球は2アウトから」
よく耳にする言葉です。
確かに野球にはタイムアップがないので、
他のスポーツよりは土壇場での逆転が起こる可能性がある
スポーツだと思います。
でもどれくらいの人がこの状況でのこの粘りを実際に予想していたでしょうか。
「諦めないっていうのはこういうことなんだよ。」
大切なことを教えてくれました。
テレビでは伝え切れないあの興奮と感動。
野球って素晴らしい、高校野球っていいぞ!
諦めちゃダメなんだ、可能性はある!
つなげ!つなげ!!つなげ!!!
この試合を見ると、力が湧いてきます。
2013年、東北福祉大の主将になった伊藤も諦めない気持ちを忘れないよう、
このビデオをたまに見るそうです。
■プラチナチケット
球史に残る猛反撃。
夏の決勝、九回2アウトランナーなしからの五点。
「あと一人」から7人出塁。
「あと一球」から4人出塁。
怒涛の19分間でした。
この回に打席に立った延べ10人、堂林と森本が投じた全45球、
日本文理打線はただの一球も空振りをしていません。
四球、盗塁、タイムリー二塁打、タイムリー三塁打、
ファールフライ見失い、死球、四球、二点タイムリー、代打タイムリー…
中京大中京が徐々に徐々に追い詰められていくのが、
手に取るようにわかります。
ランナーが出てからの33球の間、堂林、森本は牽制球を投げるどころか、
プレートを外す余裕さえありませんでした。
そしてこの試合は高校野球の最大の魅力である「ひたむきさ」を
我々に伝えてくれたのでした。
私はこの試合を境に高校野球地獄にはまっていくのです…(笑)
■秋山耿太郎朝日新聞社長より※
■山中、河合、柴田、金山、久保田、堂林、伊藤、岡、宗雲、山田、森本、磯村※
■久保田、堂林、伊藤、岡、宗雲、山田、森本、磯村、竹内、岩月、盛政、宮沢、倉見※
■宗雲、山田、森本、磯村、竹内、岩月、盛政、宮沢、倉見、國友※
■中村、切手、伊藤、若林、武石、高橋隼之介、高橋義人※
■若林、武石、高橋隼之介、高橋義人、湯本、吉田、奥浜、高橋洸、石塚※
■湯本、吉田、奥浜、高橋洸、石塚、田辺、村山、笹川、平野※
■石塚、田辺、村山、笹川、平野、朝妻、矢口※
■安達マネージャー、大井監督※
安達優花マネージャーは決勝戦で記録員としてベンチ入りしましたが、
女性が決勝戦でベンチ入りしたのは第85回夏(2003年)の
東北高校の奥山愛里マネージャー以来2度目。
◆九回表、日本文理の打者への投球数
打順 | 選手名 | 投球数 | 結果 |
八番 | 若林尚希 | 4球 | 三振 |
九番 | 中村大地 | 2球 | 遊ゴロ |
一番 | 切手孝太 | 6球 | 四球 |
二番 | 高橋隼之介 | 9球 | 左中間二塁打 |
三番 | 武石光司 | 7球 | 右翼線三塁打 |
四番 | 吉田雅俊 | 3球 | 死球 |
五番 | 高橋義人 | 8球 | 四球 |
六番 | 伊藤直輝 | 3球 | 左単打 |
七番 | 石塚雅俊 | 1球 | 左単打 |
八番 | 若林尚希 | 2球 | 三直 |
計 | 45球 |
【リンク】
両チーム試合後の一言
■ずっしりと重い優勝旗と優勝盾
■全国制覇※
■史上最高の準優勝※
【リンク】
第91回全国高等学校野球選手権大会 決勝
■大会優勝旗 (写真:中京大中京ホームページ)
■優勝旗 (写真:中京大中京ホームページ)
■優勝盾
■ウイニングボール (写真:中京大中京ホームページ)
■準優勝盾※
■準優勝フラッグなど
■準優勝までの足どり
■新潟へ凱旋※
■「ご声援ありがとうございました」
【リンク】
おまけ その1(新聞紙面)
おまけ その2(大藤監督、母校を指導)
おまけ その3(仙台育英・高橋竜之介選手)
おまけ その4(引退する金本選手)
おまけ その5(「最終回は、終わらない」)
おまけ その6(「最終回は、終わらない」 with ラガー師匠)
おまけ その7(笹川芳樹さん撮影の写真多数追加)
おまけ その8(第44回明治神宮野球大会 高校の部 決勝)
おまけ その9(日本文理対中越OB戦)
おまけ その10(横浜高校 長浜グラウンド)
おまけ その11(「甲子園のラガーさん」)
おまけ その12(センバツの日本文理)
おまけ その13(春季北信越大会決勝)
おまけ その14(第96回全国高等学校野球選手権 新潟大会 決勝)
おまけ その15(第96回全国高等学校野球選手権大会)
おまけ その16(2014夏 日本文理 甲子園ベスト4 熱闘の記録)
おまけ その17(高校野球 DVD映像で蘇る 不滅の名勝負 Vol.8)
おまけ その18(「中京魂 折れない心の育て方」)
おまけ その19(かみじょうたけしさん)
おまけ その20(大藤敏行さん 育成功労賞受賞)
おまけ その21(朝日新聞特別ガイド)
おまけ その22(朝日新聞 あの夏)
おまけ その23(第99回全国高等学校野球選手権大会)
おまけ その24(為せば成る-日本文理大井道夫監督31年間の足跡 )
おまけ その25(中京大中京、イチロー展示ルーム訪問)
おまけ その26(書籍に多数掲載)
おまけ その27(あれから10年…)
おまけ その31(かみじょうたけしの高校野球物語)
2023/10/22 Sun. 17:22 [高校野球]
【おまけ その31】
おまけ その31(かみじょうたけしの高校野球物語)
高校野球大好き芸人のかみじょうたけしさんがご自身のYouTubeチャンネルで
高校野球名勝負として日本文理対中京大中京戦のことを語っています。
2020年5月19日にアップされたものです。
かみじょうさんと伊藤投手のお父さんの奇跡的な出会いをお楽しみください。
かみじょうたけしの高校野球物語
おまけ その31(かみじょうたけしの高校野球物語)
高校野球大好き芸人のかみじょうたけしさんがご自身のYouTubeチャンネルで
高校野球名勝負として日本文理対中京大中京戦のことを語っています。
2020年5月19日にアップされたものです。
かみじょうさんと伊藤投手のお父さんの奇跡的な出会いをお楽しみください。
かみじょうたけしの高校野球物語
[edit]
おまけ その30(第104回全国高等学校野球選手権大会)
2022/09/01 Thu. 22:04 [高校野球]
【おまけ その30】
おまけ その30(第104回全国高等学校野球選手権大会)
2022年8月、ついに永年の夢が叶いました。
第104回全国高等学校野球選手権大会の開会式から閉会式を含む
全48試合を阪神甲子園球場で観戦することができました!
そして大会第3日、日本文理は長崎の海星と対戦。
■当日は地元・高岡商の試合も
試合は海星が常時リード。
エース田中晴也投手は指の皮が剥がれるアクシデント。
六回表二死一塁、玉木聖大選手はライト前へのゴロを処理した際、
送球後に足を気にした様子で倒れ込みました。
その後、担架に乗せられてベンチ裏へと運ばれました。
試合は約5分間中断し、治療を経て再びグラウンドへ戻ると、
スタンドからは大きな拍手が送られました。
海星もセンターの河内夢翔選手、ショートの丸本翔吾選手が倒れるなど、
猛暑の中、厳しい戦いが続き、日本文理は一方的な試合展開で敗れました。
■ワンサイドゲーム
私の夏は大会第3日目で終わってしまったので、2日後、甲子園歴史館探索に。
「日本文理の夏はまだ終わらない」のコーナーはいつ来ても人でいっぱい。
手前のモニターを食い入るように見つめる人。
その後方でその様子を見るのがとても好きです。
■別エリアの「名場面シアター」でもこの試合を観ることができます(写真:甲子園歴史館)
そして毎年恒例の甲子園歴史館 クイズ検定にチャレンジ!
高校野球編には初級、中級、上級の3コースがあり、
4択での全5問正解でWebの表彰状がもらえます。
当然、上級に挑みますがいきなり難問が。。。
Q :第一回大会決勝戦の天候は?
A 1:晴れ
A 2:曇り
A 3:雨
A 4:雪
もうこれは直感で答えるしかありません。
「A2の曇り」
正解です。
なんとか5問全問正解することができ、表彰状をいただきました。
一応、初級、中級もチャレンジしましたがこれは楽勝でした。
■高校野球編上級
■高校野球編中級
■高校野球編初級
準決勝の日、五回終了時のグラウンド整備時にスタンドをうろうろしていたら、
信じられない光景が!
元日本文理の高橋隼之介さんと弟の元仙台育英の竜之介さんが
小縣裕介アナウンサーと談笑している場面に遭遇。
3人の写真を撮らせていただきました。
そして閉会式が終わって帰ろうとしていた時、またまたミラクルが!
高橋兄弟とご両親がかみじょうたけしさん、いけだてつやさんに
ご挨拶をされているところに遭遇。
高橋兄弟と一緒にフレームに収まることができました。
プライベートでしたので写真のアップは控えますが、
最後の最後にミラクル2連発で全試合観戦を終えることができました。
竜之介さん、仙台育英優勝おめでとうございます!
■明訓高校ユニフォーム わざわざ作った?(写真:甲子園歴史館)
おまけ その30(第104回全国高等学校野球選手権大会)
2022年8月、ついに永年の夢が叶いました。
第104回全国高等学校野球選手権大会の開会式から閉会式を含む
全48試合を阪神甲子園球場で観戦することができました!
そして大会第3日、日本文理は長崎の海星と対戦。
■当日は地元・高岡商の試合も
試合は海星が常時リード。
エース田中晴也投手は指の皮が剥がれるアクシデント。
六回表二死一塁、玉木聖大選手はライト前へのゴロを処理した際、
送球後に足を気にした様子で倒れ込みました。
その後、担架に乗せられてベンチ裏へと運ばれました。
試合は約5分間中断し、治療を経て再びグラウンドへ戻ると、
スタンドからは大きな拍手が送られました。
海星もセンターの河内夢翔選手、ショートの丸本翔吾選手が倒れるなど、
猛暑の中、厳しい戦いが続き、日本文理は一方的な試合展開で敗れました。
■ワンサイドゲーム
私の夏は大会第3日目で終わってしまったので、2日後、甲子園歴史館探索に。
「日本文理の夏はまだ終わらない」のコーナーはいつ来ても人でいっぱい。
手前のモニターを食い入るように見つめる人。
その後方でその様子を見るのがとても好きです。
■別エリアの「名場面シアター」でもこの試合を観ることができます(写真:甲子園歴史館)
そして毎年恒例の甲子園歴史館 クイズ検定にチャレンジ!
高校野球編には初級、中級、上級の3コースがあり、
4択での全5問正解でWebの表彰状がもらえます。
当然、上級に挑みますがいきなり難問が。。。
Q :第一回大会決勝戦の天候は?
A 1:晴れ
A 2:曇り
A 3:雨
A 4:雪
もうこれは直感で答えるしかありません。
「A2の曇り」
正解です。
なんとか5問全問正解することができ、表彰状をいただきました。
一応、初級、中級もチャレンジしましたがこれは楽勝でした。
■高校野球編上級
■高校野球編中級
■高校野球編初級
準決勝の日、五回終了時のグラウンド整備時にスタンドをうろうろしていたら、
信じられない光景が!
元日本文理の高橋隼之介さんと弟の元仙台育英の竜之介さんが
小縣裕介アナウンサーと談笑している場面に遭遇。
3人の写真を撮らせていただきました。
そして閉会式が終わって帰ろうとしていた時、またまたミラクルが!
高橋兄弟とご両親がかみじょうたけしさん、いけだてつやさんに
ご挨拶をされているところに遭遇。
高橋兄弟と一緒にフレームに収まることができました。
プライベートでしたので写真のアップは控えますが、
最後の最後にミラクル2連発で全試合観戦を終えることができました。
竜之介さん、仙台育英優勝おめでとうございます!
■明訓高校ユニフォーム わざわざ作った?(写真:甲子園歴史館)
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